eぶらあぼ 2018.1月号
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29 現代バレエの振付家のなかでも、ジョン・ノイマイヤーほど人気の高い振付家も少ない。端正で繊細な振付。重層的な構成を持つドラマティックな作品でありながら、難解ではなく、独特の抒情性がやさしく心の琴線に触れてくる。2015年には、現代バレエへの貢献を称えられ、権威ある京都賞が贈られた。彼が率いるハンブルク・バレエ団の2年ぶりの日本公演は、『椿姫』、『ニジンスキー』、ガラ公演〈ジョン・ノイマイヤーの世界〉と、その魅力を十二分に発揮するプログラムが素晴らしい。 なかでも見逃したくないのが不世出のダンサー・振付家を題材にした『ニジンスキー』。舞踊家として刺激を受けたという対象へと鋭く迫る渾身の長編。バレエ・リュスのスターとして一世を風靡しながら、セルゲイ・ディアギレフとの確執から同団を去り、20世紀初頭の激動の時代に悲劇的な生涯を送った伝説的な存在だ。 「特定の人物についてバレエを創ることほど難しいものはありません。私のバレエは、彼の魂、境遇あるいは人間性を探る伝記なのです。 第1部は“外的な世界”。これを描くためにバレエ・リュス初期のエキゾティックで神秘的な雰囲気をよく表現できるリムスキー=コルサコフの“シェエラザード”を音楽に選びました。ニジンスキーは『金の奴隷』の役を官能的に踊りましたが、逆に、『ばらの精』や無垢な人形、ペトルーシュカ、牧神などの役では、幅広く役をこなす才能を発揮しています。 第2部はアプローチが異なります。音楽はショスタコーヴィチの交響曲第11番。曲の副題は“1905年”。“血の日曜日”と呼ばれるサンクトペテルブルクのデモを題材にしたもので、ニジンスキーは偶然にもそのデモの混乱に巻き込まれ、負傷します。彼が体験した戦争の最初の兆しは、やがて第一次、第二次世界大戦へとつながって行きます。芸術と戦争の間に捉えられ、内面と外面の葛藤が起きています。実際に彼の内面で何が起きていたのか。語り尽くせないような主題です」 ドラマティック・バレエの傑作『椿姫』の再演も期待される。アレクサンドル・デュマ・フィスの小説を基にした舞踊化の決定版とされる。音楽はヴェルディではなくショパンの楽曲で構成されている。 「音楽は私が物語を描くためのメディアではありませんが、音楽こそ文学を舞踊化するための、貴重なインスピレーションの源泉なのです。創作時、ヴェルディのオペラの楽曲を再構成することを考えましたが、それではオペラを参照したものとなる。指揮者のゲルハルト・マルクソンの助言を得てショパンを試し、私の台本に従いマルクソンが音楽のアウトラインを定めてくれました」 第1幕に『マノン』の物語を劇中劇として挿入し、それがマルグリットの内面を映し出す卓抜な仕掛けとなっている。 「デュマの原作に触発されました。小説のなかでアルマンがマルグリットに『マノン・レスコー』の本を贈り、以来、彼女はことある毎に自分をマノンと比較する。物語では、マルグリットの死後、“作家”がオークションでこの本を手に入れたことになっている。パリに戻ったアルマンは本を取り戻し、マルグリットとの人生、自分の物語を改めて考える機会となる。マノンとデ・グリューというキャラクターをマルグリットとアルマンの思いや運命を映し出す鏡として用いています。対照的な存在として、視覚化された対話を通して主人公が立体的な視点から見えてくると思います」 京都賞受賞講演で、芸術家として、人間として、大切にしている信念を誠実に語ったノイマイヤー。受賞という縁の糸を強めるように、舞踊家としての軌跡を辿り、人生を振り返る感動的なガラ公演〈ジョン・ノイマイヤーの世界〉を京都でも上演する。構成・演出のほか自らが語りを務め、全編が代表作の抜粋で夢のように綴られる。心を惹かれた題材や人物についても素直に語り、ベジャールとの絆も語られる。躍動感に満ちた動きが精神性へと昇華される時、この巨匠が世界で愛される理由が納得できる。 「京都賞は大きな栄誉です。芸術家は栄誉とともに責任を伴う。自分の世界観や感情、哲学などを言葉を介さない舞踊を通して表現できることは、この仕事が持つ最大の特権かもしれない。人を感動させ、調和のなかで共生する可能性を示し、平和と和解のメッセージを伝えるダンスの力が、初来日の1986年2月16日の『マタイ受難曲』広島公演で印象深い形で現実のものとなりました。美の表現が贖罪という癒しの視点と結びついていました。忘れることのできない瞬間です」バレエ界の鬼才が語る3つの傑作、そして現いま在取材・文:立木燁子

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