eぶらあぼ 2017.12月号
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182 今回は日本・韓国・タイのダンサーによる公演、またシンポジウムでは同大学のサン・キング教授とアジアのコンテンポラリー・ダンスについて話した。教授はタイやシンガポールなどの「東南アジア」と比べて、日中韓の「北東アジア」を「リッチ・アジア」と呼ぶ。笑顔だったが、経済力を背景に自国の影響力を行使しようとしている日中韓への皮肉とも取れた。 そしてもう一つ重要なのは、日本や韓国のダンサー達が、バンコクの子どもや若いダンサー達へワークショップを行ったことだ。こういう機会自体がこれまでなかったそう。しかし最初に扉を開けることが大切なのである。魅力的なアートと若者は、出会ってしまえば、あとは自然に燃え上がっていく。30年前の日本で、公的な助成がほとんどなくとも、若いダンサーがコンテンポラリー・ダンスに熱中していったように。 シンポジウムの終わり、教授に「この大学は元は宮廷の一部だったとか。素晴らしいね!」と言ったら「まあ…じつは後宮でね。王様の奥さん達が何十人も住んでいた。大学の名前は第一夫人の名前からとってるんだよ」とのこと。王様ったら…。 これに先立つNDAも盛況のうちに終わった。オレも審査員を務めたが、スペインのマスダンザ・フェスへの出場者を選出したり。日本への招聘も東京・福岡・秋田・北海道といろいろ決まっているので、随時報告するよ!第38回 「『ダンサーの巣』が、タイのダンスの扉を開く」 タイのプミポン前国王一周忌直前にあたる10月、ちょうどバンコクにいた。とにかく国民から慕われていたことで有名な国王だ。政情が荒れた時には事態の収拾に努め、その一方で自らも様々な芸術に関わる面も持っていた。街のあちこちに写真と花が飾られ、どれもよく手入れがされていた。 オレが招かれたのは、『ダンサーズ・ネスト(ダンサーの巣)』という国際プロジェクトだ。ダンサー達が中心になって互いにつながり、互いの国に招きあって寝食を共にしながらワークショップやクリエイションをしていくもの。ソウルのNDA(ニューダンス・フォー・アジア)フェスと連動している。ちなみに両方ともオレが名付け親だ。 タイは伝統舞踊とバレエには力を入れているが、コンテンポラリー・ダンスは公演させてくれる場所を探すだけでも一苦労だという。しかし若いアーティストの情熱は止められるものじゃない。アジアはもちろんヨーロッパへもどんどん進出し、じつに高く評価されている。しかも伝統舞踊を修めた上で取り組んでいるロナロングや、逆に伝統とは全く関係なく、強靱な身体性と新しい感覚で引っ張りだこのパクハモン(通称much)など、多彩なダンサーが登場している。だがタイ国内では知られていない。黎明期のアートによくあることだ。 そんな状況を打開すべく、タイの大学やNDAが協力して、日本と韓国からダンサー達(オレはシンポジウムに参加するため)を招いた。なんと滞在先のホテルはスワンスナンター地域総合大学の中にある。そもそもこの大学の敷地自体が元王宮の一部だったのだが、国王が解放して様々な学校を作ったのだという。やるなあ王様。ホテルの名前は「スワンスナンター・パレスホテル」だったが、本物のパレス(宮殿)というわけだ。庭など実に美しい。Proleのりこしたかお/作家・ヤサぐれ舞踊評論家。『コンテンポラリー・ダンス徹底ガイドHYPER』『ダンス・バイブル』など日本で最も多くコンテンポラリー・ダンスの本を出版している。うまい酒と良いダンスのため世界を巡る。http://www.nori54.com/乗越たかお

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