eぶらあぼ 2017.11月号
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Prole1959年東京生まれ。SPAC-静岡県舞台芸術センター芸術総監督。東京大学で小田島雄志、渡辺守章、日高八郎から演劇論を学び、90年ク・ナウカ旗揚げ。国際的な公演活動を展開し、同時代的テキスト解釈とアジア演劇の様式を融合させた演出は国内外から高い評価を得ている。2014年アヴィニョン演劇祭から招聘された『マハーバーラタ』の成功を受け、17年『アンティゴネ』が同演劇祭のオープニング作品として上演。アジアの演劇のオープニング上演は同演劇祭史上初。代表作に『王女メデイア』『ペール・ギュント』など。04年第3回朝日舞台芸術賞受賞。05年第2回アサヒビール芸術賞受賞。31 静岡県舞台芸術センター(SPAC)の芸術総監督を務める演出家の宮城聰がドヴォルザークのオペラ《ルサルカ》に挑む。宮城はこれまで、モリエール台本によるシャルパンティエの《病は気から》、モンテヴェルディの《オルフェオ》、パーセルの《妖精の女王》といったオペラの演出を手掛けてきた。主宰していた劇団ク・ナウカではワーグナーの台本による『トリスタンとイゾルデ』も演出した。また、この10月に歌舞伎座での新作歌舞伎『極付印度伝 マハーバーラタ戦記』(台本・青木豪、出演・尾上菊五郎、尾上菊之助ほか)の演出が大きな話題となっている。演劇の世界で多彩な活動をおこなっている宮城にとって、オペラへの興味とはどんなものだろう。 「僕が演出家として仕事をするようになり、勉強のために海外の優れた演出家の舞台を観ようとしても、映像が残されていませんでした。ただストレーレルとかP.シュタインとかシェローらがオペラを演出した舞台は、当時レーザーディスクで観ることができた。それらを観ることでオペラにも親しむようになりました。オペラ演出の面白いところは、演出家のほかに指揮者という存在があり、ストレートプレイの場合と違って演出の力がすべてを統べることはない。これは僕の演出観にもつながるのですが、演出とは他者と出会う作業です。俳優と出会い、劇作家と出会う。オペラではそこに音楽、指揮者という別の芸術家が関わってきます。どうがんばっても演出家の手の及ばない部分が上演のなかに残っているわけです。舞台を見ているお客様にも、『これは演出家と指揮者が出会っているな』とか、『演出家と音楽が戦っているな』ということがあからさまになる構造です。僕にとってはそこがオペラの魅力です。《ルサルカ》は《ニーベルングの指環》などと同様に、メタファーとして捉えることが可能な作品です。そういう点で僕がやってみてもいいかな、と思いました。オペラは指揮者と歌手が良ければ素晴らしい上演にはなる。演出の仕事は自分がどう考えているかを表明するのではなく、自分にとって作品の分からない部分、いわば“謎”を発見して、その“謎”を作品の輝かしい部分として提示できるかどうかがポイントだと思っています」 日生劇場が一般向け「NISSAY OPERA」公演に加え、中学・高校生を対象にした招待公演「ニッセイ名作シリーズ」としても上演するオペラ《ルサルカ》は、どのような舞台になるのだろうか。 「僕は小学生のときに、当時のニッセイ名作劇場を観ているんですよ。子ども心に学校の行事だからと高を括っていたのですが(笑)、実際に劇場に足を踏み入れたらびっくりしました。そのときのワクワクした感じが、僕が劇場というものに魅かれた原点になっています。日生劇場はホールの内部が村野藤吾さんの凝ったデザインで、海の中みたいになっている。この客席を生かしてみんな水の底にいるような、『これから非日常が始まりますよ』というワクワクした感じから入ってもらって、それからただのメルヘンではなく、ドヴォルザークの人生の辛酸というか、ある種の苦さ、痛切な思いが込められているということが少し伝わるよう、第2幕からだんだんとクライマックスに向けて展開できればと考えています」 ドヴォルザークが《ルサルカ》に込めた思いとは。 「《ルサルカ》はドヴォルザークの晩年に近い時期に作曲されています。彼が若い頃、ハプスブルクのオーストリアに支配されているボヘミアで、チェコ人の国民劇場を作ろうという運動が起こり、彼もそれに関わる。一方で19世紀のグローバリズムのなかで、まずウィーン、そしてロンドン、ニューヨークで認められる必要があったのです。そこではドイツ語や英語が話されていて、チェコ語は通用しない。ドヴォルザークは成功をおさめますが、音楽資本と作曲家の関係としては、ボヘミア風味の音楽はエスニック料理のように野趣あふれたものとして、消費されるものだったのです。『スラヴ舞曲集』などを出版する際に、根底にあったはずのボヘミア的なものを脱色して、グローバル市場が消費できる形にした。晩年のドヴォルザークには、有名になりお金も稼ぐことができましたが、もっとも大切なものを捨ててしまったという悔恨があったのではないでしょうか。人間の王子に憧れながらも言葉を失い会話することができないルサルカの心境など、台本にもそうした彼の意識が反映されているような気がします」 作品の底を流れているものを意識させながら、舞台上ではワクワクさせてくれる上演となることを期待したい。作品のなかの“謎”を輝かしいものとして提示するのが演出家の仕事です取材・文:寺倉正太郎 写真:藤本史昭

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