eぶらあぼ 2017.10月号
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51 西洋音楽史ではルネサンス末期にあたるこの時代。長崎のセミナリヨ(初等神学校)で教義の他に西洋音楽も学んでいた彼らが取り組み、異国で聴いたのはどんな音楽だったのか。また、日本へやって来た宣教師たちが持ち込んだ南蛮音楽の源流と痕跡は? 濱田芳通率いる古楽アンサンブル・アントネッロがカウンターテナーの彌勒忠史ら4人の歌手とともに、音楽の視点から少年使節たちの物語をつづるコンサートが浜離宮朝日ホールで開催される。濱田「少年使節のトピックスを扱う企画は、われわれ日本人の古楽奏者にとってはたいへん重要で、よくやるんですよ。ただ僕は少し違う視点で考えています。西洋音楽は戦国時代にキリスト教の宗教音楽として入ってきて、やがて禁教によって排除されたと考えるのが一般的ですけれど、宣教師だけでなく船乗りや使用人たちも連れて来たわけですから、常識的に考えて、世俗曲も一緒に入って来たはずです。その世俗曲が、われわれが純日本音楽だと思い込んでいる民謡などの中に入り込んで残っているかもしれない。厳しい弾圧のもと、オラショとして生き残ったグレゴリオ聖歌があるように。そのリンクに注目しています」 アントネッロのファンなら、10年前にリリースした同じテーマのCDをご存知だろう。当時のヨーロッパ音楽とともに、通奏低音の上で歌われる〈五木の子守唄〉などが違和感なく収められている。当時4人の少年たちがどんな音楽を演奏し、見聞きしたのかを示す確証は残っていないので、歴史考証を前提としたうえで、ある種の“妄想”は有用かつ必要なのだ。彌勒「禁教とともに躍起になって取り除いたはずの聖歌が残っているのなら、世俗音楽だって、きっとどこかに残っていると思いますね」濱田「それはもう私たちの血になっているものかも知れませんね。そうだとしたら西洋音楽に対するコンプレックスがなくなる。うちは代々音楽家なので、西洋音楽をやるほうが当たり前なのですが、でもやっぱり、なぜ西洋音楽に興味を持っているのかを不思議がっている自分もいます。そういうこともあって、これは大事なテーマなんです」彌勒「われわれ音楽家はみんな、ヨーロッパに行くと、なぜわざわざヨーロッパの音楽をやるのかと問われます。でも実はすでに16世紀末にヨーロッパと直接やりとりがあった。自分たちのアイデンティティに関わりますから、それは真剣になりますよね」 もしかしたら日本が一方的に受容してきたばかりではないかもしれない。今回も演奏されるアロンソの〈とりこてあ〉という歌などは、もしや逆輸入? と思わせる一曲だ。濱田「めちゃくちゃ日本民謡みたいな曲なんです。題名をひらがなにしたのは僕ですが(笑)、歌詞が意味不明なんです。だからもしかして、日本の歌がヨーロッパに伝わったのかもしれないし、外国人が『日本語ってこんな感じ』とデタラメな歌詞を作ったのかもしれない。全然わからないんですよ(笑)」 コンサートは、元NHKアナウンサーの山根基世が語り手を務め、4人の男声歌手(彌勒、上杉清仁=アルト、中嶋克彦=テノール、坂下忠弘=バリトン)にそれぞれ少年役が割り振られて、使節たちの旅立ちから失意の最後までを描く。朗読しながら、歌いながら、若干の衣裳をつけ、芝居も交えて進むということなので、ある意味ドラマのように肩肘張らずに楽しめる音楽朗読劇になりそうだ。濱田「彼ら4人は、われわれと同じ音楽をやっていた先輩です。単に西洋音楽というだけでなく、まさにわれわれのレパートリーと同じ音楽をやっていたわけですから」 4人が教皇に謁見したのは、サン・ピエトロ大聖堂にパレストリーナが奉職していた時期と重なる。彼は少年たちと顔を合わせたのだろうか。時代の背景や様式にのっとった、でも自由な発想から繰り出される音楽に身を委ねれば、われわれ聴き手の妄想も自然と膨らむにちがいない。Information語りと音楽でつづる 天正少年使節の物語12/13(水)19:00 12/14(木)13:30 (完売)浜離宮朝日ホール問 朝日ホール・チケットセンター03-3267-9990http://www.asahi-hall.jp/hamarikyu/長谷川路可「天正遣欧使節」(南蛮文化館所蔵)

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