eぶらあぼ 2017.10月号
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222 もちろんダンサーには様々なタイプがある。しかし巨大なエネルギーに一瞬で「接続」し、舞台を満たしてしまうダンサーは確実にいる。もしも十分なダンスの技術を体得済みならば、そういう自分の中に眠る「違うエンジン」を探してみてもいいかもしれない。 もっとも最近、「作品作り」について、若いダンサーが変な思い込みをしているケースを見た。 海外の国際フェスで、ある若いカンパニーの作品が、はじけそうで弾けず、その直前で留まってモヤッとした感じのまま終わってしまったのだ。明らかにもっと踊れる連中なのに…と思いながらレセプションのパーティー会場へ行くと、さっきのダンサー達が、ちょっとした壁ならぶっ壊せるほどの激しいダンスを踊りまくっていたのである。 なんでキミらはそれを舞台上でやらんのだ!? 話してみると、どうやら「即興で爆発的に踊ることは好きだが、そういうのは押さえて、ちゃんと構成を考えるのが作品作り」だと考えているようだった。 いらねー! そんな起承転結いらねーよ! 自分が楽しめてないものをいくら創ってもしょうがないだろう。歳を取れば、自然にうまくまとめるようになってしまうもの。若いうちは、やりたいことを詰め込んで、詰め込みすぎて、やりっぱなしのまま終わったって良いんだぞ!第36回 「どこに向かって、何を頑張ったらいいのかわからない」 自分の力を持て余している若いダンサーをたまに見かける。長くダンスを学んできて、いよいよ作品作りに取りかかるが、思うようなものができない。学校ならば「次にクリアするべき課題」は常に用意されており、それに向かって頑張れば良かった。しかしプロのダンサー・振付家は、自分のテーマを自分で見つけなければならない。作品上演後も満足がいかず、といってどんな作品を創ったら良いのか、そもそもどこに向かって頑張ったらいいのかわからない。順調に楽しく歩いていた道が、不意に見えない壁だらけに思え、窒息しそうになるのだ。学校の課題をマジメにやってきた人ほど陥りやすい。教授から高い点数を取るための作品と、アーティストが自分の存在をかけて世間に問う作品は、全く別物だからだ。 こればかりは「誰かの一言でスッパリと迷いが晴れて開眼する」などということはない。アーティストは自分自身でのたうち回りながら「次」をつかんでいくほかはないのである。 だがオレはときどき、こんな話をする。 人間誰しも、怒りのあまり誰かをブン殴りたいとか、あるいは心から好きな人を抱きしめたい・抱きしめられたいといった気持ちが、胸の奥底からジワっと湧いてきたことがあるだろう。その感覚を、よくよく思い出してみるのだ、と。 別に演技をしろと言っているのではない。そうした我を忘れるほどの激しい衝動で感情が揺さぶられた瞬間、身体の中に強大なエネルギーが湧いてきたはずだ。普段の生活にはちょっとないような、ドロリとした底知れぬ熱のカタマリ。そこに心と身体が「接続」されているあの感覚を、作品の中に活かしてみるといい。Proleのりこしたかお/作家・ヤサぐれ舞踊評論家。『コンテンポラリー・ダンス徹底ガイドHYPER』『ダンス・バイブル』など日本で最も多くコンテンポラリー・ダンスの本を出版している。うまい酒と良いダンスのため世界を巡る。http://www.nori54.com/乗越たかお

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