eぶらあぼ 2017.10月号
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201政治家とクラシックの関係 ドイツではこの9月、下院(連邦議会)の総選挙が行われるが、この国では一般に、政治家に高い“文化度”があることは良いとされている。「ゲーテとベートーヴェンの国」と呼んだら古臭いが、教養が重視されるため、カルチャーに強い政治家は、「インテリだ」と敬意を持たれるのである。 歴代首相のなかには、そうしたイメージを好んで標榜した人もおり、シュレーダー首相(任期1998〜2005年)などは、社会派の文学者、画家たちと葉巻をくゆらしながら芸術議論をした、とされている。彼は渋くカッコよかったので、確かにそうした雰囲気はぴったりだろう。一方、現職のメルケル首相(05年〜)は、プライベートの顔があまり見えず、何を趣味にしているのかさえよく分からない人である(料理が好きだ、という噂がある。でも、いつ作るのだろうか?)。特に文化色の強い政治家とは言えないが、バイロイト音楽祭に毎年顔を出すことはよく知られている。また、ベルリン・フィルやベルリン国立歌劇場でも時折見かけるが、これは夫(量子学者のヨアヒム・ザウアー)がクラシック・ファンなため。ちなみにドイツでは、劇場で政治家、俳優等の有名人を見かけても、サインや握手を求めたりはしない。気付かない振りをして、プライベートの時間を尊重してあげるのである。 彼女に対し“本当の音楽ファン”だったのは、ヴァイツゼッカー大統領(1984〜94年)とシュミット首相(74〜82年)だろう。前者は、80年代後半にベルリン・フィルで「大統領コンサート」を導入し、89年にはカルロス・クライバーをデビューさせた。ベルリン・フィルはかねてからクライバーを呼びたがっていたが、大統領が要請すれば断れないだろう、Profile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』、『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。近年は、音楽関係のコーディネーター、パブリシストとしても活動。という目算が当たり、94年にも再登場している。一方後者はピアノを得意とし、ドイツ・グラモフォンとEMIにバッハとモーツァルトの4台/3台ピアノのための協奏曲をレコーディングした。共演は、エッシェンバッハ、フランツ、オピッツというから大したものである。 しかし、筆者自身が「ドイツって、すごい!」と思ったのは、ブラント首相(69〜74年)の国葬で、アバド指揮のベルリン・フィルが演奏したこと。ワルシャワのゲットー記念碑の前で謝罪したことで有名な彼は、生前から「未完成」第2楽章の演奏を望んでいたという。テレビでその模様に接した筆者は、「特定の政治家の葬儀でアバドとベルリン・フィルが演奏するんだ…」と感じ入ったものである。しかし、したたかなレコード会社が「ブラント首相が好んだクラシック名曲」のコンピレーションを発売しようとして未亡人に尋ねたところ、「マーチや民謡が好きでした」とのお答え…。「未完成」というチョイスは、深い思慮の結果のように聞こえるが(「私の仕事はまだ終わっていない」、「天国的な美しさ」等々)、何のことはない、特に音楽ファンではない本人が「たまたま知っていた曲」だったのである。政治家と芸術の関係とは、本人よりも国民が理想化して求めるものなのかもしれない。城所孝吉 No.15連載

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