eぶらあぼ 2017.9月号
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20映画監督の視点で描く斬新な《トスカ》の世界取材・文:寺倉正太郎 写真:青柳 聡 『萌の朱雀』(1997)がカンヌ国際映画祭でカメラドールを受賞し、『殯の森』(2007)で同映画祭の審査員特別大賞グランプリを獲得して、映像作家として国際的な評価を確立した河瀨直美がオペラ演出に初挑戦することになった。 劇作家サルドゥが女優サラ・ベルナールのために書き、プッチーニが題材とした戯曲『ラ・トスカ』は、フランス革命の余韻に揺れるローマを舞台とした作品だが、河瀨は古代日本を想起させる架空の時代に舞台を移し、画家カヴァラドッシをシャーマンのカバラ導師とし、歌姫トスカを歌と踊りの上手な村娘トス香として描きだすという。6月に行われた会見の席で、河瀨はこう述べている。 「このお話をいただいたとき、私はオペラを鑑賞した経験もなかったのですが、プッチーニの《トスカ》では、主役を含めて主要な登場人物がみんな死んでしまう。この悲劇的な物語をどう希望に変えていくのかということを求められていると解釈しました。現代はいろいろな意味で絶望感を味わうことの多い時代であるかもしれませんが、生きていくうえでは何らかの希望を持たなければ。今回の大役を仰せつかり、一所懸命やりたいと考えています。 原作のトスカは、たいへん信仰心の篤い女性で、そして愛に生きるという女性です。古代の人々が愛し合い、そして何かを育んで生きているなかで、女性の役割としてもトスカの生き方としても、何か共感できるところがあるのではないか? そういうものを一緒に再現していければ。もちろん初めてのことでもあり、スタッフやキャストとどのように関わってゆけるか、ということについても楽しみです」 5都市で6公演が予定されている今回の《トスカ》は、シングルキャストで、4つのオーケストラが参加、指揮を大勝秀也と広上淳一が3公演ずつ受け持つ。舞台美術は建築家として活躍する重松象平、衣裳は堂本教子、河瀨による映像も舞台に生かされるようだ。 「舞台は映画と違って、三次元というか、確固とした空間が存在しているわけですが、映画というスクリーンの平面の世界と、空間のある世界を融合させたものを作っていきたいと考えています。舞台装置もあまりごつごつしていると、映像がとってつけたようなものになってしまうので、そのバランスを考えているところです。たとえば舞台のなかに森を存在させようとすれば、映像で表現をして、装置はできるだけシンプルなものにしたい。映画は光と影の芸術なので、オペラの舞台にも光と影というものを作っていきたい。たとえばカヴァラドッシが拷問される場面で、裏でうめき声をあげるというのが普通のやり方ですが、影で動いているとか、何らかの形で牢屋を実際に見せるのではなく、影の世界で表現したいと思っています」 プッチーニの音楽についてはどのように考えているのだろうか。 「誤解をおそれずにいうと、音楽の旋律そのものは誰が聴いてもすばらしいものです。でもそのあとの静寂とか間にこそ、私たちが感動というか心を持っていかれる瞬間があるのではないか。いま一番気になっているシーンは、スカルピアをあやめたあとのトスカの心です。そこをどう描くのかで、おそらくこの作品のありようというのは変わってくるのではないでしょうか。愛のために殺すということだと、非常に単純な、表面的な行為になってしまう。突発的にそうせざるをえないのかもしれませんが、そうしてしまったことを受け入れた瞬間のトスカの強さ…。目の前で生き物が息絶えるという瞬間を、あれだけ敬虔な信仰を持つトスカがどう受け止めるか。女性としても感じるところがあると思います」 実はサルドゥの『ラ・トスカ』(1887初演)はプッチーニのオペラ化(1900初演)よりも前に、日本では福地桜痴が歌舞伎化(1891)し、三遊亭円朝が落語化(1889)したという歴史を持っている。映画監督による《トスカ》への取り組みということでは、ジャン・ルノワールが1939年にイタリアに招かれ、ヴィスコンティの助力を得て映画化に取り組んだことも知られている。河瀨直美とそのスタッフの挑戦がどんな舞台を見せてくれるのか、期待して待ちたい。Prole生まれ育った奈良で映画を創り続ける。1997年劇場映画デビュー作『萌の朱雀』で、カンヌ国際映画祭カメラドール(新人監督賞)を史上最年少受賞。2007年『殯の森』で、審査員特別大賞グランプリを受賞。最新作『光』でエキュメニカル賞を受賞。故郷奈良では「なら国際映画祭」をオーガナイズし、次世代の育成に力を入れる。今秋オペラ《トスカ》を演出。来年11月23日から6週間パリ・ポンピドゥーセンターにて、大々的な河瀨直美展が開催される。公式サイト http://www.kawasenaomi.com/
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