201706
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191付を委嘱される存在で、勅使川原の舞台美術を集めた展覧会が開かれるほど高く評価されている。開かれた本が壁一面にびっしりあるものとか(『BONES IN PAGES』)、真っ暗な舞台で夜光塗料を塗った巨大な壁が動くとか(『Luminous』)、予算があるならあるなりに素晴らしいものを創る。 しかし大御所になった今でも、安くて卓越した美術を創りだす腕は健在だ。 たとえば足元に湾曲した透明なオブジェを並べ、そこに光を通す。美しい光の道ができるが、足を踏み入れれば光は途切れてしまう…。美しいシーンだが、足元に並べた「透明なオブジェ」とは、100円ショップで売っている写真立てである。 巨大なパイプオルガンと「共演」したときには、舞台上に木で組んだ大きなオブジェが置いてあった。なるほど金管のパイプオルガンに対して、人間のダンススペースには木製品か。しかしよく見ると、無数に積み上げている木のオブジェは「箱馬(踏み台などに使われる舞台の裏方の小道具)」なのでは…。そして舞台が暗くなり、オブジェの内部から光が放たれると、箱馬の隙間から光線が四方に広がり、荘厳といえるシーンを創り上げたのである。箱馬で。 クリエイティブとは、こういうことだ。自分の舞台に必要な物を見定めて、決してあきらめない情熱が創造を生む。それは金よりも、ずっと巨大なものなのである。第32回 「予算たっぷりの舞台美術かと思ったら、そうじゃなかった」 一頃のダンスは揃いの衣裳などを着ていたものだが、今はもう普段着、というか練習着みたいなもので踊ることも多い。しかしかつてあるダンス作品で、揃いの衣裳ながら、どんなにジャンプしてもワイシャツの黒いネクタイが揺らぐことなく身体にフィットしているのを見たことがある。しかも微妙に光沢があって美しい。さぞや特別な布をあつらえたのだろう、ひと味違うな、と感心した…。 が、終演後に近くで見てみて驚いた。ネクタイじゃなかったのだ。 なんと荷造り用の黒いガムテープだった。細く裂いてワイシャツに貼り付けてネクタイに似せていたのである。なるほど、そりゃジャンプしても動かんわ。ぴったりフィットして光沢もあるわな。 しかしそもそも「ネクタイのポジションに他の物を持ってこよう」という発想自体、普通はしないだろう。しかも「光沢のある生地」を探すんじゃなくガムテを貼りつける発想の飛び方には、次第に感心していった。ネクタイ一本、隅々まで舞台に意識を張り巡らせるセンスのある者が、妥協のない作品を創り上げるのである。 ちなみにこのエピソードは、30年くらい前、まだ世界的にブレイクする前の、若き勅使川原三郎の舞台での話だ。 ショウケースやコンペティションで20分程度の作品を創ることばっかりやっている今の若いアーティストは、「時間も予算もない。凝った美術セットや衣裳なんて無理」と言ったりする。あるいは逆に、妙にもてはやされて予算が付いてしまい、クズのようなオブジェを作ったり、ヒラヒラした布に和物の生地をアシンメトリーに縫い込んだ薄っぺらい衣裳を作ったりする。 勅使川原はいまやパリ・オペラ座バレエ団から振Proleのりこしたかお/作家・ヤサぐれ舞踊評論家。『コンテンポラリー・ダンス徹底ガイドHYPER』『ダンス・バイブル』など日本で最も多くコンテンポラリー・ダンスの本を出版している。うまい酒と良いダンスのため世界を巡る。http://www.nori54.com乗越たかお

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