eぶらあぼ 2017.3月号
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197た。空手をやっていたので、柔軟性と筋力は十分にある。まあバレエもちょっとやったらできるだろう、とナメてかかっていたのだ。足はあがる……だが「あげた状態で足を止める」ことがまるでできなかった。 「なんかこう……つま先で空気をクッと掴む感じで」とか言われても、できるかい! 「クッ」じゃねえよ。だがやがてバレエダンサーとは、インナーマッスルの怪物なのだな、とわかってくる。ボディビルなどですぐにつく大きな筋肉ではなく、骨や関節に密着するような、細かい筋肉の群れ。しかし気の遠くなるような鍛錬の果てに、バレエダンサーはほっそりとした見た目のままに奇跡のような動きを実現するのだ。本来は鍛えること自体が難しい。しかしシルヴィ・ギエムという史上最強の呼び声も高いバレエダンサーは、足の裏の筋肉が、ボディビルダーの腹筋並みのシックスパックに割れていた。なんかもう怖い。人智を越えた身体なのである。 「カネモチの男が純真な村娘をもてあそんで不幸にする」みたいな、今時いかがなものかと思う話も多いクラシックバレエが、なぜ時代を超えて心を打つのか。バレエを旧態依然とした技術だとなめてかかったり、「オレ、ストリートダンスで『白鳥の湖』を越えるものを創りたいんスよね」とかいう若者はいるけど、まずホンモノの凄さを骨身に染みて理解しなければ、乗り越えることなどできないぞ。第29回 古典の凄さに、まずは「絶望する」ことから いま舞台芸術で超絶注目を浴びているのが木ノ下歌舞伎である。歌舞伎を現代の観客に、より伝わるよう、洋服を着たりラップを使ったりすることを恐れぬヤツら。だが上っ面のマネではない。ちょっと見は性別不詳の主宰・木ノ下裕一が研究を重ね、徹底的な補綴(ほてつ)を行っているのである。「心理状態によって現代語と江戸言葉を使い分ける」「原作ではここに流行り歌が挿入されるので、ラップを入れよう」など、「古典への裏打ちがあっての新しい表現」へ挑戦しているのだ。「学者や研究者は、その時代にどの作品が人気があったかは言えても、『この作品の何が当時の観客に受けたのか』は説明してくれない」という不満からだったという。 とうぜん歌舞伎には舞踊作品があるのでダンス好きも見るべき物は多い(『三番叟』など)。作品ごとに演出家を変えるのも木ノ下歌舞伎の特徴で、あえてダンサーに委嘱することもある。1月に東京で上演された『隅田川』は白神ももこが、原作の「生き別れた子どもが亡くなった話を船頭から知らされる」という筋を、マイクを握って朗々と歌いつつ踊った。同時上演の『娘道成寺』では愛しい男を追って蛇身に変わる娘を、きたまりがど迫力のソロで踊り切った。 杉原邦生が木ノ下歌舞伎の演出をするときは、出演する役者に本職の歌舞伎役者の映像を見せて完全コピーさせるという。杉原はそれを「絶望するための時間」と呼んでいる。子どもの頃から叩き込まれた本職の歌舞伎役者の動きを、役者がやろうとしてもできるわけがない。その「できない」ということを骨身に染みて実感させるための作業なのだ。そこで「ならば自分たちには何ができるのか」という表現が立ちあがるのである。 オレも若い頃、クラシックバレエで同じことを感じPrifileのりこしたかお/作家・ヤサぐれ舞踊評論家。『コンテンポラリー・ダンス徹底ガイドHYPER』『ダンス・バイブル』など日本で最も多くコンテンポラリー・ダンスの本を出版している。うまい酒と良いダンスのため世界を巡る。http://www.nori54.com乗越たかお

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