eぶらあぼ 2016.6月号
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チェリスト堤剛にとっての決意表明のような最重要リサイタル 今回のオープニング公演(6月4日)は、これまでの堤剛の音楽家としてのキャリアの中でも白眉ともいえる、未来への決意表明のようなリサイタルである。なぜならここには、20世紀半ば以降のチェロのレパートリーの中でも21世紀以降にぜひとも継承していかなければならない曲目が組まれているからだ。 マルティヌーの「チェロ・ソナタ第2番」は1941年作曲。チェコ出身でありながら、フランス音楽やストラヴィンスキーに強い影響を受け、パリを経由してアメリカに渡った作曲者が、第2次大戦の初期にニューヨークで書いた、抒情性も力強さも兼ね備えた充実作。シュニトケの「チェロ・ソナタ第1番」は1978年作曲。ポスト・ショスタコーヴィチの旧ソ連の作曲家ならではの毒のある表現、そして痛切さが聴きもの。ブリテンの「チェロ・ソナタ」は、旧ソ連のチェリスト、ロストロポーヴィチと作曲者との出会いによって始まった1960年代の共同作業の最初の作品。いずれも古典的な様式感を守りながらも、新しいチェロの音楽の可能性を切り拓いた、歴史的名作ばかりである。 これらに加え、野平一郎の委嘱新作は「触知できない領域~チェロとピアノのための~」という意味深なタイトル。20世紀の偉大な作品に匹敵するマスターピースを日本の作曲家が生み出してほしいという正面きっての演奏者からの願いに、作曲者がどう応えるのか。これは間違いなく、日本のチェロ演奏史上、歴史に残る夜になる。未来のために何ができるか?~響感のアジア いまなぜアジアなのだろうか? 言うまでもない、いま最も対話とコミュニケーションが求められるテーマだからだ。音楽とは、社会と切り離された単なるエンターテインメントなのではない。国境を越えて、一人ひとりの心に通じていくことのできる、人類普遍の価値である。それをアジアの音楽家たちと分かち合うことほど、いま大切なことはない。チョーリャン・リンは台湾系アメリカ人ヴァイオリニスト。彼はアジアの弦楽器の世界における、偉大なリーダーの一人でもある。教育者であるとともに、多くの作曲家や演奏家たちとのコラボレーションに力を尽くしてきた。 堤剛とチョーリャン・リンといえば、30年前のサントリーホールのオープニング・シリーズで、アイザック・スターンやヨーヨー・マらと組んで演奏したあの艶々としたアンサンブルを思い出さずにはいられない。彼らに共通するのは、人間としても大きな器をもつ、全人格的な弦楽器奏者としての存在感、そして未来のために音楽家は何をなしうるかというビジョンの大きさである。6月11日の公演は、それをも~対話の時代は室内楽から~サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン2016「オープニング 堤剛プロデュース 2016」「響感のアジアⅠ~Ⅲ」いまほど室内楽が求められている時代はない。室内楽とは対話である。異なる主張にも耳を傾け、議論し合ったり、共感し合ったりしながらも、最終的には調和をめざしていく─人間的なコミュニケーションの最も洗練された形態である。サントリーホールがそのメイン行事のひとつにチェンバーミュージック・ガーデンを掲げているのは、彼らの音楽への良心の証しであり、開館30周年を迎えた今年は、とりわけ力の入ったプログラミングとなっている。文:林田直樹

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