eぶらあぼ 2016.4月号
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252左:イスラエル・ガルバン 右:アクラム・カーン Photo:Jean-Louis Fernandez5/7(土)、5/8(日)各日15:00 彩の国さいたま芸術劇場問 彩の国さいたま芸術劇場0570-064-939 http://www.saf.or.jpアクラム・カーン&イスラエル・ガルバン『TOROBAKA-トロバカ』2人のカリスマが展開する強烈なリズムとダンス文:岩城京子 血に染まる古代ローマの闘技場を思わせる朱色の円が舞台上に浮かぶ。2人の舞踊手が、黒ずくめの衣装で立つ。ひとりは素足で、ひとりはフラメンコシューズを履いて。アクラム・カーンとイスラエル・ガルバンが競演する『TOROBAKA -トロバカ』(2014年 グルノーブル初演)の醍醐味は、北インド宮廷舞踊カタックとスペイン舞踊フラメンコという、いっけん天地ほど異なるように思えるダンス様式に、どれほど通底する言語が多いかを目の当たりにできる悦びにある。実はこの2つのダンスの結びつきは、600年前にまで溯る。一説によると、北インドから旅に出たロマの人びとが、南スペインに辿りついたのち、その南欧の地でカタックの足さばきをフラメンコへと昇華していったという。 とはいえ『トロバカ』でカーンとガルバンが見せる足さばきの類似性は、一卵性というより、二卵性双生児のそれに近い。つまり、似ているようで大胆に異なる。確かに双方とも、クラシック・バレエのように天に昇る上昇言語を採用せず、地へと向かう床との対話が踊りの基礎を成している。ただガングルー(足巻き楽器)を身に付けたカーンの足さばきは、床をなでるように、さらうように、平手打ちするように厳かに遂行されるのに対し、ガルバンのサパテアードは、殴るように、弾むように、切り裂くように、色っぽくアグレッシブに拍子を刻む。身長はほぼ同じ二人だが、 宙に曲線を描くカーンと直線を刻むガルバンが並んで踊ると、その質感と重量感の差異から、まったくサイズの違う肉体彫刻に見えてくるから不思議だ。 言葉を換えるなら、カーンのジェスチャーは植物的で、ガルバンの肉体は動物的。あるいは前者の奏でる歌は夜想曲で、後者は狂詩曲のようだ。本作ではさらにそこに、フラメンコ寄りの3人のシンガーと、インドの影響が感じられる2人の打楽器奏者による音楽が重ねられる。そしてサンスクリットからセファルディズム(スペイン系ユダヤ人)まで、あらゆる調べを引用して、歴史と文化が融合された想像上の土地の音楽を奏で始める。 『トロバカ』という題名には二重の意味がある。ひとつは、マオリ族の音声学に触発されたダダイズムの詩人トリスタン・ツァラによる詩『Toto-vaca』へのオマージュ。もうひとつは、スペイン語のtoro(雄牛)とvaca(雌牛)を合体させた造語。インドとスペインでは、ともに牛は聖なる動物だ。彼らはその聖性をまとい舞台に上がると同時に、ダダイストのような頓知とユーモアでその聖性を破壊しにかかる。この諧謔性を好むかどうかは、観客の好みによるだろう。2人の名舞踊手による真剣勝負を望む人にとっては、やや肩すかしともいえる軽妙さがときに舞台を覆うからだ。2人は真っ向勝負を挑むというより、威嚇し合うように、じゃれ合うように、語り合うように舞台に立つ。国際的名舞踊手ふたりがあえて、「対決」よりも「対話」を舞台上で示唆するのは、もしかするとこの紛争に満ちた世界に対する知的な反論なのかもしれない。Catch Up

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