eぶらあぼ 2015.11月号
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276ピーター・ブルック ©Simon Annand11/25(水)~11/29(日) 新国立劇場(中)問 サンライズプロモーション東京0570-00-3337 http://www.parco-play.comピーター・ブルック『Bバトルフィールドattleeld~「マハーバーラタ」より』巨匠からの深淵なる“啓示”文:伊達なつめ ピーター・ブルックの『マハーバーラタ』は、1985年アヴィニョン・フェスティバルで初演され、その年の同フェスの話題を独占。その後ブルックの本拠パリのブッフェ ドゥ ノール劇場や、日本(88年)を含む世界各都市で上演され、各地で旋風を巻き起こした伝説的名作だ。人類に起こるすべての事象が記されているという長大なインドの古代叙事詩を、3部作の戯曲に構成(脚本:ブルック、ジャン=クロード・カリエール、マリー=エレーヌ・エティエンヌ)し、9時間かけて上演する大がかりなもので、観客にとっては、その時空を共有すること自体が、得難い体験でもあった。 あれから30年の歳月を経て、御年90歳となった巨匠が、再びこの叙事詩に向き合ったのが、『バトルフィールド』だ。(上演時間は約80分) 9月15日、ブッフェ ドゥ ノール劇場で世界初演の初日を観た。舞台は、かつての3部作で描かれていた戦争が終わった後の、何百万もの死体で覆われた大地。戦争に勝ったユディシュティラ王子は、荒んだ光景を目の当たりにし、肉親まで殺めた自らの行為を悔いながら「この勝利は敗北だ」と吐き捨て、戦争の無意味さに打ちひしがれている。そこへ彼の母や叔父、神までもが現れ、寓話に託して真理を説きながら、彼を王としての責務に向かわせようとする──。 いつもながらの「なにもない空間」で、女性1人男性3人の俳優4人が、ショール状の布など最小限の小道具を使いながら、代わる代わる人や動物に扮し、語り部となって、ユディシュティラにシンプルかつ根元的な問いを突きつけてゆく。 そしてただひとりの音楽奏者、土取利行のジャンベ(西アフリカの太鼓)は、彼らがもたらすすべての事象と言動に寄り添い、包み込み、収斂させてゆくグルのようだ。これは太古の昔の設定を借りた、紛れもなくアクチュアルな物語…というより、あらゆることが齟齬をきたし、カタストロフィーが続いて終末に向かっている現在の世界に対する、ピーター・ブルックからの“啓示”にほかならない。 「毎日身の回りで起きていることを吸収していると、自然と、いま何が重要なのかがわかってくるものなのだよ。私は、自分からは何も決断していない。沈黙に耳を澄ませていたら、今なすべきことはこれだと、促されたと言えばいいかな。それは音楽家の土取さんが、楽譜を書くのではなく、何か音が出てきた瞬間に『あ、この音が正しい』と、音の方から語りかけてくるのを感じるのと同じだね」 喝采に包まれた初日の翌日、取材に応じたブルックは、穏やかに微笑みながら、創作の動機を語ってくれた。世界初演から間をおかずに、東京でこの啓示に与れる。これを僥倖と言わずに、何と言おう。11/6(金)~11/8(日) シアターX(カイ)問 大橋可也 & ダンサーズ03-6905-9264http://dancehardcore.com大橋可かくや也 & ダンサーズ『テンペスト』舞踏になったシェイクスピア文:高橋森彦大橋可也 & ダンサーズ Photo:GO ハードコアダンスを提唱する大橋可也 & ダンサーズは、土方巽を始祖とする暗黒舞踏直系の流れを汲み、独特な手法によってダンスシーンを疾走する異色集団だ。最新作の題材はウィリアム・シェイクスピアの最後の戯曲といわれる『テンペスト』である。 ミラノ大公の座を追われ流浪の身となったプロスペローが復讐に燃え、魔術によって嵐を発生させ、ナポリ王や弟の乗った船を難破させる──。劇聖が晩年に遺したロマンス劇と向きあい、“言葉を疑い身体を取り戻す”ことを目指す。 主人公プロスペローには批評家・音楽家の大谷能生(よしお)、妖精エアリエルには前衛家・文筆家・即興演奏家の吉田アミを配役し、“言葉・文字・声が舞台空間を交錯する”という。主人公の娘ミランダや怪物キャリバンを今津雅晴、山縣太一(チェルフィッチュ)、皆木正純ら気鋭のダンサーや俳優が複数で演じる。 異才・大橋が多彩な顔ぶれとともに巻き起こす「あらし」から何が浮かびあがるのだろうか。目が離せない。パリ初演より(右端:土取利行) ©Caroline Moreau

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