eぶらあぼ 2014.7月号
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第1回コンテンポラリー・ダンスなど、すたれてもよいのだ わりとこう鉄砲玉というか、「敵の中へ突っ込んでいって命タマ取ってこいや」的な役回りが多い。いやダンスの話だ。コンテンポラリー・ダンスという、1980年代に急速に盛り上がり、よくわからないままにどんどん拡散したダンスの魅力を多くの人に知ってもらうべく、オレは本を書いたりレクチャーを重ねてきた者だが、ときには今回のようにちょっと場違いな、まるで紳士淑女のパーティで圧力鍋の素晴らしさについて語るかようなアウェイ感満載の媒体にポンと放り込まれることもある。 だがそれでダンスの観客が一人でも増えるのならばオレは語るよ! 世界最先端のダンスを求めて世界中を飛び回っているオレが、おもに葛飾区から送信した原稿を隔月でお届けするのがこの連載である。よろしくお願いします。 が、「そのわりにこのタイトルは何!?」と思うかもしれない。確かにオレは「コンテンポラリー・ダンスの伝道師」的に紹介されることも多いが、オレが好きなのは「ジャンルに寄らずワクワクするダンス全般」なのである。そもそもコンテンポラリー・ダンスというのはヒップホップのような特定のスタイルではなく、「制約なく、何でもアリの可能性」を示す物だった。多様化しすぎて定義できなくなった身体表現全般にザックリつけられた呼称なのだ。むしろ定義づけされたら負け、そこからスルリと逃げてこそのものだった。 しかし30年も経つと「で、どういうのが正しいコンテンポラリー・ダンスなんすか?」という若者がどんどん出てくる。授業や試験に必要なのかもしれないが、そもそも「正解が一個しかない」と思っている時点でアートじゃないぞ。 さらに困るのが「慨がいたん嘆厨ちゅう」である。「今オレが見たいと思うようなダンスって、ないんだよねー」とかいうヤツら。「コンテンポラリー・ダンスは特有のスタイルを指すものだと勘違いしている」ことを露呈しているばかりか、ろくに数も見ないでダンス全体を語る自らのボンクラぶりを知れ。 ダンスとは人間誕生から続く「本能に根ざしたアート」であり、その根底の広大さを考えれば、決してすたれるものではない。いつの時代にも、人を魅了するダンスは必ずあった。コンテンポラリー・ダンスはここ30年ばかり人気があったが、いずれすたれもするだろう。しかしジャンルを取っ払って見れば、世界中にワクワクするダンスは陸続として生まれていることがわかる。それを知る努力もせずダンス全体を嘆いてみせる慨嘆厨は、ホント害悪である。今この瞬間にも身体を削って新しい挑戦をしているダンサーが山ほどいるんだ馬鹿野郎。 だがこれは音楽にしても同様だろう。一時期「レコードやCDが売れないと、音楽が死ぬ」みたいな言説もあったが、人は数千年も音楽を作り続けてきたし、これからもそうだ。たかだか130年前に誕生した「レコードという媒体のビジネスモデル」が崩れるだけのことで、決して「音楽」が死ぬことはないのだ。 いつの時代も、世界のどこでも、人は歌い、人は踊る。本連載ではその魅力について、語っていきたい。Prileのりこしたかお/作家・ヤサぐれ舞踊評論家。『コンテンポラリー・ダンス徹底ガイドHYPER』『ダンス・バイブル』など日本で最も多くコンテンポラリーダンスの本を出版している。うまい酒と良いダンスのため世界を巡る。乗越たかお240

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