eぶらあぼ 2014.3月号
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23私が『指環』の中で一番贔屓にしているのが《ラインの黄金》です ワーグナーのオペラ・楽劇を毎年1作ずつ演奏会形式で上演してきた東京・春・音楽祭。いよいよ2014年から畢生の大作『ニーベルングの指環』のツィクルスが始まる。指揮を担うマレク・ヤノフスキは、2010年から13年にかけて、手兵ベルリン放送交響楽団とワーグナーの主要10作品を本拠地ベルリンにて演奏会形式で上演し、大成功に導いた(「ペンタトーン」レーベルのライヴ・レコーディング「ワーグナー・エディション」も完結したばかり)。東京での『指環』に期待が高まる中、ベルリンでのインタビューが実現した。 ヤノフスキにとって、『指環』とはどういう作品だろうか。「総演奏時間は15時間に及び、その規模の大きさと複雑さは、音楽史の中で唯一無二のものです。よく知られているように、この作品は一気に書かれたものではありません。ワーグナーは、『指環』の中で最後に位置する作品《ジークフリートの死》(後の《神々の黄昏》)の構想から始めました。やがて、《ラインの黄金》《ワルキューレ》と作品を進めていくわけですが、《ジークフリート》の第2幕の終わりで一旦作曲をやめてしまいます。ひょっとしたら彼の中で創作力が足りないと感じたのかもしれません。その後、彼は《トリスタンとイゾルデ》と《ニュルンベルクのマイスタージンガー》を書き上げ、12年の中断期間を経て《ジークフリート》第2幕の一番最後と第3幕、《神々の黄昏》を作曲するのですが、そこには《トリスタン》で獲得した比類のないオーケストレーションが生かされています。聴き手はオーケストラの響きがそれまでと全く違うことに気づくでしょう。木管楽器、ホルン、弦楽器といった各セクションの響きを混ぜ合わせる試みを積極的に行っており、何より対位法を駆使して書かれています」 このツィクルスで演奏するのはNHK交響楽団。ヤノフスキとは久々の共演となる。「演奏の質の高さにおいて、私が非常に評価するNHK交響楽団と再び共演できることをうれしく思っております。歌手陣は私がよく知っている優秀なソリストばかりですし、N響はドイツのシンフォニー・レパートリーに長けていますので、私の目指している音楽を共に作っていけると確信しています」 ヤノフスキは若い頃歌劇場で修行を積んだドイツの典型的な“たたき上げ”の指揮者だが、1990年代以降、歌劇場でオペラを指揮していない。演奏会形式で上演することのこだわりは何だろうか?「演奏会形式上演の長所は、舞台上の演技や複雑な動きにそがれることなく、聴き手がより音楽に集中できることです。とはいえ、その場合、音楽だけを聴くに値する質の高さが重要で、全てのオペラを演奏会形式で上演できるわけではありません。ワーグナーの中でも、『指環』全4作、《トリスタン》《ローエングリン》《パルジファル》などは、演奏会形式に特にふさわしい作品群です。また、ワーグナーが作品に求めた条件を満たすことができるのも利点。例えば、《ラインの黄金》の最後では6台のハープに加え、舞台裏にもう1台ハープが必要です。実に18の鉄床をたたく鍛冶仕事のシーンも、できる限り忠実に再現したいと考えています。ベルリン放送響との上演では、オーケストラ全体を囲むように鉄床を舞台に配置し、視覚的にも素晴らしい効果が生まれました」 4月に東京文化会館で指揮する《ラインの黄金》の魅力について聞いてみると、この作品に対するヤノフスキの尋常ならざる思い入れが伝わってきた。「一般的に、『指環』の中で一番人気があるのが《ワルキューレ》、次は《神々の黄昏》と決まっています。しかし、私個人の考えでは、音楽的な、そしてドラマトゥルク(作劇法)の知的なレベルの高さで見ると、もっとも興味深いのが《ラインの黄金》なのです。それは、極めて聡明なオーケストレーションに加え、ワーグナーがそれ以前にも以降にもなし得なかったローゲというテノールの役があるからです。ローゲは、最もベルカント的な声が要求されながらも、同時に極めて知的な台詞の表現能力が求められます。ひょっとしたらそのためでしょうか、《ラインの黄金》は四部作の中で一般的に人気が高いとはいえませんが、ワーグナーをよく知る人(東京にもたくさんおられることを私は知っています)にとっては、特別な作品なのです。私が《指環》の中で一番贔屓にしているのが《ラインの黄金》です。《ワルキューレ》でも、《神々の黄昏》でもありません」取材・文:中村真人(在ベルリン)

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