eぶらあぼ 2013.12月号
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33楽団員の一体感を誇りに思います 賢人の風格、とでも言うのだろうか。インタビューの場となった一室に入ってきたとき空気がフッと和らぎ、静かに語り出すその内容には言葉の重みが感じられる。ユーリ・テミルカーノフは間違いなく現在のロシアを代表するマエストロであり、ショスタコーヴィチらが生きた旧ソビエト時代から混乱の90年代を経て、ロシア音楽界をけん引してきた。そこに蓄積された経験と自信が、マエストロの言葉にますます輝きを与えているのだろう。 2014年の1月後半から2月初頭にかけ、25年間にわたり強いパートナーシップを築いてきたサンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団と日本ツアーを行うが、オーケストラを誇りに思う言葉はてとも力強い。「200年以上の歴史があり、チャイコフスキーが亡くなる9日前に交響曲第6番『悲愴』の初演を指揮したほか、世界中の偉大な音楽家たちと音楽を作り上げてきました。25年前にこのオーケストラを引き継いだ私は、楽員の一人ひとりが伝統の一部なのだと気づいたのです。小さい頃からロシアの空気と音楽を吸収し、サンクトペテルブルグ音楽院の出身者がほとんどを占めますので一体感があるのです。さまざまな国籍の楽員が集まるオーケストラにはない特徴であり、私たちはそれを誇りに思います。すべての楽員が、音符の向こうに何があるかを考えながら演奏しているため、私も『ですからこのオーケストラは素晴らしいのですよ!』と自信をもってお伝えできるのです」 前任者である名指揮者ムラヴィンスキーの時代は21世紀になっても伝説として語り継がれているが、この25年間は音楽に対して温かく共感するテミルカーノフの時代だったと言えるだろう。「自分のことで僭越ですが、うまくやってこられたなと思えます。ロシアには『魚は頭から腐る』ということわざがありますけれど、このオーケストラの指揮者に無記名の楽員投票で選ばれたとき、彼らからの信頼を感じ、裏切ってはいけないのだと確信しました」 そうした揺るぎのない信頼関係ゆえ、名演は生まれ続ける。今回のツアーはチャイコフスキーの交響曲第4番や、マエストロが「私の大切な友人であり、聴き慣れた作品に新鮮で驚くべき光を当てる音楽家」と絶賛するエリソ・ヴィルサラーゼを迎えてのピアノ協奏曲第1番、ラフマニノフの交響曲第2番やムソルグスキーの「展覧会の絵」、庄司紗矢香を迎えてのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲といった、“ベスト・オブ・ロシア音楽”とでも称すべき選曲だ。「ロシアの作曲家たちは、自分の心をさらけ出すことを恐れません。聴衆の一人ひとりに話しかけ、自分の感情や悩みまでも思いっきりぶつけてきます。日本の皆さんは逆に、自分をさらけ出すことを恥ずかしいと感じる方が多いかもしれませんね。ですからロシアの作曲家たちが心を開くことで、聴衆の皆さんはご自分が信頼されていると感じとり、うち解けてくれるのではないかと思えるのです」 それでは、今回のツアー中、文京シビックホールのみで演奏されるマーラーの交響曲第2番「復活」についてはどうだろうか。「合唱が加わる作品をぜひこのホールで取り上げたい」とマエストロ自身が希望し、実現したという貴重なコンサートだ。「ラフマニノフにも共通することですが、音楽には裏側に隠された感情が宿っています。 マーラーの音楽の中には行進曲やストリート・ミュージックのようなものが登場するせいか、以前は理解が進まずに敬遠されていました。でもそれは表面的なことであり、彼は世界のあらゆる音楽を曲に反映させたのだということが理解されたと言えるでしょう。その上で『通りではにぎやかに演奏しているが、裏では恐ろしいことがあるんだよ』と、私たちに教えてくれる音楽なのです。そこがマーラーの魅力です。またサンクトペテルブルグ・フィルは豊かで温かな弦楽セクションの音が自慢なのですけれど、楽員たちは音符から感じとる“心の震え”のようなものを表現しています。『復活』では、その素晴らしさも味わっていただけるでしょう」 この他、静謐なサウンドの中に多彩な感情や事象が表現されるギヤ・カンチェリの「…al Niente(無へ)」は、テミルカーノフに献呈されている作品。「楽譜には多くの休符があり、まるで優れた俳優が無言であっても雄弁な演技をするのと似て、無の音になにかを感じとれる音楽」と、マエストロもお気に入りの逸品だ。今回のツアーは首席指揮者として25年を迎えた節目でもあり、新しい時代へのスタートにもなる。だからこそ、自信に満ちた選曲と演奏を聴き逃したくはない。取材・文:オヤマダアツシ

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