クラウス・フロリアン・フォークト(テノール)

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 あの新国立劇場の《ローエングリン》から1年も経たぬうちに、クラウス・フロリアン・フォークトをフルオペラで聴ける!
 力強くも優しい、透明な声。加えて麗しい容姿。このまったく新しいタイプのワーグナー・テナーは、日本でもトップスターの座にのぼりつめた感がある。来る4月に東京・春・音楽祭で演じるのもやはりワーグナーで、今回は《ニュルンベルクのマイスタージンガー》の主役、ヴァルター・フォン・シュトルツィングだ。知る人ぞ知るフォークトは、最初ホルンを学んだ人であり、ワーグナーにはその頃から惹かれていたという。
「1980年代の終わりでしたか、バイロイト音楽祭のリハーサルを見る機会があり、こんなことができればどんなに素晴らしいだろうと思ったものです。その後、ハンブルク・フィルのホルン奏者になってからも、ワーグナーを演奏するのは大好きでした。テナーテューバを吹く時などは長く手が空くので、ピットの中でヴォーカルスコアを読みながら音楽を追ったりしていました。ジークフリート・イェルザレム、ガブリエーレ・シュナウト、マッティ・サルミネンといった最高級の歌手が出演していましたからね」
 フォークトの“素晴らしい声”を最初に指摘したのは、プロの歌手である妻の、母親だった。北ドイツのフレンスブルク歌劇場に応募し、「試しに」歌を始めたのが1997年。最初はハンブルクのオケを休団状態にしての活動だったが、その安定した職を辞して「弱肉強食の世界に赴く」ことを決めた。「その方が芸術的により発展できると思ったし、冒険心もあった。妻も背中を押してくれて。むしろ妻のほうが確信を抱いていましたね」
 ホルン奏者と歌手とではかけ離れているようだが、肺を直接使う音楽家という点では共通している。それがプラスにもなっているのでは?
 「呼吸器官を用いて音を作るということを、幼い頃から学んできましたからね。わずかな数のバルブで操作するホルンでは、音を出す前にその音をイメージしないと正しい音は出せません。これは歌とよく似ています。もっとも、今は何年も先の活動予定を決めなくてはなりませんが。でも自分で決められるだけ、より自由だとも感じています」
 《マイスタージンガー》のヴァルターは、2007年に彼がバイロイト音楽祭の舞台を初めて踏んだ時の役だ。ニュルンベルクにやって来て歌を披露するも、マイスター達に受け入れらない若い騎士。当時はカタリーナ・ワーグナーが演出したが…。
 「古いものだけにしがみつく態度に、ヴァルターは我慢がなりません。私にしてもそうです。新しいものへの強い欲求が常にあります。一方で、時代をくぐり抜けてきたものを軽視してもならない。ヴァルターにとっての転回点は第3幕、靴職人のマイスター、ザックスと協働して初めて自分の歌のスタイルを獲得する時です。彼はいまやごく慎重に、古いものをも表現する。ただし新しい色調をスパイスとして効かせつつ。ザックスも、他のマイスター達から理解されません。それで保守の側に転じる、というのがカタリーナ・ワーグナーの誇張だったわけですが、そこにも新たな色調は加わっているのです」
 今回は舞台のない演奏会形式による上演だ。演出家の指示がないだけに、むしろ難しい面もあるのでは?
 「演奏会形式の経験はこれまでにもあります。そこで目指すべきは、情景が欠けていても聴き手がストーリーに納得できるような表現を見いだすことです。心の中で、私は常に情景の中にいますよ。それに今回のチームは素晴らしい。指揮者のセバスティアン・ヴァイグレとは特に気が合います。本番で、彼はちゃんと決めたとおりやりますからね」
 以前に比べ声がより強靭になったものの、フォークトの歌唱は依然として軽やかで透明、そして大袈裟さを避ける。「教会音楽が専門?」とさえ思うことがある。
 「歌うという行為を、私はごくナチュラルなものだと考えています。その意味で、大袈裟さを好みません。何かを“意図”して歌わない。もっと違うワーグナーに人が慣れているからといって、自分をゆがめることはしたくありません。またワーグナーにおいては、そもそもどんなレパートリーでもそうですが、聴き手が歌詞を追っていけるように歌うことが大切です。ことばが分からなければ人は物事に集中できません。これは私が非常に気にかけていることです」
 この間、同じ東京・春・音楽祭で歌曲の夕べを持つことも決まった。演目はシューベルト「美しき水車屋の娘」全曲。“ワーグナー以外のフォークト”を知る貴重な機会であり、「ことば」に対する彼のセンスを、より親密な空間で味わうこともできる。オペラと併せて、ぜひ。
取材・文:船木篤也
(ぶらあぼ2013年3月号から)

profile
クラウス・フロリアン・フォークト
ハノーファーとハンブルクの音楽学校でホルンを学び、ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団の第1ホルン奏者としてスタート。オーケストラと併行してリューベック音楽大学で声楽を学ぶ。ドレスデン国立歌劇場等を経てハンブルク、ブリュッセル、アントワーブ、アムステルダム、ケルン等で客演。2006年メトロポリタン歌劇場およびスカラ座にて《ローエングリン》でデビュー。07年にはバイロイト音楽祭《ニュルンベルクのマイスタージンガー》でデビュー、以降継続的に出演。その後もウィーン、ベルリンをはじめ各国の主要な歌劇場や音楽祭で活躍を続ける。日本では05年新国立劇場《ホフマン物語》タイトルロールでデビュー、12年新国立劇場《ローエングリン》は大きな話題となった。

東京・春・音楽祭 —東京のオペラの森2013—
Opera
東京春祭ワーグナー・シリーズvol.4
《ニュルンベルクのマイスタージンガー》(演奏会形式・字幕映像付)
★4月4日(木)15:00
★4月7日(日)15:00
会場:東京文化会館
出演:セバスティアン・ヴァイグレ(指揮)、アラン・ヘルド(ハンス・ザックス)、
  ギュンタ一グロイスベック(ポークナー)、アドリアン・エレート(ベックメッサー)、
  甲斐栄次郎(コートナー)、クラウス・フロリアン・フォークト(ヴァルター)、
  ガル・ジェイムズ(エファ)他
  NHK交響楽団(管弦楽)、東京オペラシンガーズ(合唱)

Recital
東京春祭 歌曲シリーズvol.11
クラウス・フロリアン・フォークト(テノール)
共演:イェンドリック・シュプリンガー(ピアノ)
曲/シューベルト:歌曲集「美しき水車屋の娘」(全曲)
★3月27日(水)19:00・東京文化会館(小)

問:東京・春・音楽祭実行委員会03-3296-0600
http://www.tokyo-harusai.com