harusai2012ebravo
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学生時代、当時住んでいた神田駿河台から上野までをよくぶらぶらと歩いた。まず神田川にかかる聖橋をゆっくりと渡り湯島の聖堂(昌平校)に入る。観光客など滅多に来ない穴場である。まっすぐ伸びた槙まきの木の下にある孔子像を横目で見ながら、神田明神に。境内の裏手を通って坂を下り、時間があれば、アメ横で道草しながら不忍池に至る道筋が好きだった。単なるヒマ潰しではあるが、私にとっては「東京」が「江戸」に変わる束の間の時間であった。 『名所江戸百景』をはじめとする歌川広重の浮世絵には、このルートを題材にしたものも多い。まさに神田川、湯島界隈を描いた「昌平橋聖堂神田川」、旧日仏会館あたりから富士山を臨んだ「駿河台水道橋」、明神様の赤い鳥居が印象的な「佐さ野の喜き東都名所 神田明神」、松坂屋が書き込まれた「下谷広小路」、そしてその名もずばり「上野清水堂不忍池」などである。 江戸末期(1797~1858年)に生きた浮世絵師の眼力といえばそれまでだろうが、写真のない時代にあって、広重が切り取った構図こそ名所そのものであったろう。道端で露天を広げている人々の暮らしぶりなど、ディテールもまた楽しい。文=鈴木洋嗣桜の山を訪ねて東京・春・音楽祭へ4
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