eぶらあぼ 2025.10月号
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©Roberto Ricci ©Benjamin EalovegaInterviewハオチェン・チャン ピアノ・リサイタル11/8(土)14:00 浜離宮朝日ホール問 朝日ホール・チケットセンター03-3267-9990 https://www.asahi-hall.jp/hamarikyu/11/9(日)13:30 サントリーホール問 楽天チケット ticket-concert@mail.rakuten.com https://ticket.rakuten.co.jp47取材・文:高坂はる香文:香原斗志 80歳を超えて歌った歌手はいても、その年齢で最高峰の歌を披露した歌手は、過去にいなかったと思う。ヌッチの前には。長年、「世界最高峰のバリトン」と讃えられてきたヌッチ。 昨年2月に82歳を間近にして聴かせてくれた歌の数々も、紛れもない世界最高峰だった。 盤石のテクニックに支えられた圧倒的な声力が、いまも保たれていること自体、信じがたい。 一方、歌に込められる感情は、リゴレットの憤怒や悲嘆も、《椿姫》のジェルモンの傲慢さや慈愛も、驚くほど深化していた。だれの歌よりも味わい深く、味わいが常識を超 ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで辻井伸行と同時優勝したのは、2009年、まだ19歳の頃。あれから16年、アメリカと生まれ故郷の中国を中心に精力的に演奏活動を行い、真摯にその音楽を深めてきた。 「私にはピアニストとして、これが夢だと具体的に掲げるようなことはありません。シンプルに、人として音楽家として成長し続けたい、練習していくつかの作品を前よりもよく弾けるようになりたいと考えながら、毎日を積み重ねているだけです。ピアノを弾くというのは単なる仕事ではなく、人生をかけて取り組むべきことで、それはとても長い道のりです」 今回は8年ぶりの日本でのリサイタルとなる。 そのプログラムは、シューマンの初期作品とベートーヴェンの後期ソナタを交互に配置するユニークなものだ。 「一般的にシューマンと聞くと、彼が精神に問題を抱えていたことが最初に思い浮かび、それによって彼の作品の多くの知的な側面が見落とされがちです。 でも実際にはそこに詩的で哲学的な発見がたくさんあると実感してから、大好きになりました。 一方のベートーヴェンは、ずっと変わらず大好きな作曲家です。 そのなかえた声力と相まって倍加し、聴きながら終始、心を激しく揺さぶられた。 バリトンがどう、歌手がどう、という次元を超えて、人間の底知れぬ力を見せつけてくれたヌッチ。 今回、十八番の《リゴレット》と《椿姫》のハイライトでイタリアの俊英歌手2人と競演し、その力をもう一度だけ聴かせてくれる。一人の人間の潜在力はどこまで大きいのか。 その問いへの一つの回答はヌッチにある。で、二人の間にあるつながりと対比を浮き彫りにするため、このプログラムを考えました」 これは、哲学書を読む中で思いついたアイディアだという。 「近代の多くの西洋の哲学者が二人を対比させて論じていますが、それらの多くがベートーヴェンに批判的になる傾向があると気づいたのです。 彼らは、ベートーヴェンは典型的な啓蒙主義の人物で、その音楽が必ず“困難を乗り越えて勝利する”結論へ向かうことから、保守的だと見なしています。 ベートーヴェンが“勝利”の側にいるとすれば、シューマンは“挫折”の側にいる人です。 作品には欠如や喪失への感覚が強く現れ、それはつまり、結論が多様な形に開かれているということでもあります。失敗が許されているのです。だからこそ、近現代の哲学者はシューマンの存在価値を評価するのでしょう。ポストモダンの時代、人々はすべてのことに明確な一つの答えがあるわけではないと感じていますから。逆に古い時代の啓蒙思想の頃、人々は絶対的な真実や究極の美が存在すると考えていたから、ベートーヴェンが賞賛されたのです」 同じドイツで連続する時代に生きた作曲家でありながら、言われてみればこうして1曲ごとに演奏されることはあまりない。その意図を聞いたらますます興味深いプログラムに思えてきた。聴けば新しい発見を与えてくれそうだ。レオ・ヌッチ(バリトン) 最後の来日比類なき歌声でいまなお輝き続けるレジェンドの歌ハオチェン・チャン(ピアノ)8年ぶりの来日リサイタルでみせる深化したピアニズム

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