21「私のウィーンでの仕事を東京で《ばらの騎士》とともに終えられるのが嬉しい」取材・文:城所孝吉 世界最高峰のオーケストラを擁し、まさに“音楽の都”を象徴する劇場、それがウィーン国立歌劇場だ。東京文化会館で10月、9年ぶりに実現する日本公演は、《ばらの騎士》(演出:オットー・シェンク)と《フィガロの結婚》(演出:バリー・コスキー、指揮:ベルトラン・ド・ビリー)のウィーンらしい2演目を、カミラ・ニールンド、サマンサ・ハンキー、アンドレ・シュエンほか名歌手たちとともに贈る。同歌劇場で数々の名演を繰り広げてきたフィリップ・ジョルダンに、日本で振る《ばらの騎士》について訊ねた。――《ばらの騎士》との出会いはどのようなものでしたか。 少年時代からずっと愛しています。父(アルミン・ジョルダン。スイスの名指揮者で、R.シュトラウスの解釈でも有名)のスコアと様々な録音には、当時から親しんできました。18歳の時に、パリのシャトレ劇場で父がこの作品を指揮した際にアシスタントとして参加し、作品を徹底的に勉強しました(その時のキャストは、フェリシティ・ロットが元帥夫人、クルト・リドルがオックス男爵)。この作品が素晴らしいのは、音楽の新しさ、モダンなところとモーツァルトの精神が息づいているところです。とりわけ後者は、あなどってはならない側面だと思います。――ホフマンスタールとシュトラウスの共同作業については。 《ばらの騎士》は、最も成功した共作ではないかと思っています。他のオペラの質を否定するわけではないのですが、この作品は、両者の実質的に最初の共同作業です。おそらく気分が最も新鮮で、霊感に満ちていたのではないかと思います。リハーサルの段階では、演出を担当したマックス・ラインハルトも参加しましたが、この三者の融合が、作品をある特別な水準にシフトしたと考えています。――この作品を指揮する上で難しいこととは何でしょう。 最も難しいのは、作者たちが意識した「軽み」を実現することです。オーケストラは大編成で、常にユーバーガングがあります(ユーバーガングとは、楽節の繋ぎ目とそこでのテンポの微妙な変化を指す。指揮ではオーケストラを徐行させることが最も難しい)。編成が大所帯で融通が利きにくい一方、歌唱部分はパルランド(音楽用語で「話すように」の意)で、セリフを語るように自明に軽やかに流れなければなりません。これを実現するためには、曲を本当によく知っていると同時に、経験が必要です。巨大なオーケストラを自在に操る技術と、オペレッタ的な軽やかさを実現する能力がなければならない。シュトラウスにとっては、この軽やかさが最も重要だったと思います。《フィガロ結婚》のような軽やかさが表現されていなければならないのです。――シュトラウスはバイエルン人でしたが、このオペラはウィーンが舞台です。《ばらの騎士》の音楽はウィーン的でしょうか。 非常にウィーン的だと思います。もちろんこの作品には、田舎っぽい部分があります。オックス男爵は地方貴族で、厚顔で図々しいですよね。彼はバイエルンの出身かもしれないし、オーストリアの地方の出身かもしれません。でもそれは、オーストリアや南ドイツに共通するスタイルです。シュトラウスは、《サロメ》でも《エレクトラ》でも、東洋風や古代ギリシャ風の雰囲気を再現しましたが、《ばらの騎士》では、ウィーン的な雰囲気を完璧に再現しています。――ウィーン国立歌劇場管弦楽団は、この作品に特別なつながりを持っていると思いますか。 世の中には、《ばらの騎士》を素晴らしく演奏するオーケストラは沢山あるでしょう。ドレスデン・シュターツカペレとバイエルン国立管弦楽団はそれに属しますが、ウィーン国立歌劇場管弦楽団もそのひとつです。《ばらの騎士》は、ドレスデンでの世界初演の3ヵ月後に、ウィーンで初上演されました。我々の劇場では、1911年の初演から数えて計1000回、この作品を上演しています。これほどの回数を誇るオペラハウスは他にないでしょう。このように、ウィーン国立歌劇場管弦楽団は《ばらの騎士》に特別な関係を持っているのです。 私は20年前にウィーンで初めて指揮しましたが、音楽監督になってから数年間はこの曲をひとりで(独占的に)振りました。我々の来日公演はもともと2021年に予定されていましたが、それはコロナ禍により実現しませんでした。今回、音楽監督の契約終了後の少し後に、ようやくツアーを果たし、この素晴らしい作品を指揮できるのは、この上ない喜びです。
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