eぶらあぼ 2025.9月号
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Profile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。10年間ベルリン・フィルのメディア部門に在籍した後、現在はレコード会社に勤務。連載 No.110城所孝吉ロシア人アーティストは楽壇に戻ってこられるのか? この7月、ゲルギエフが伊カゼルタの音楽祭に出演するという話題が、メディアをにぎわせた。彼は、ロシアのウクライナ侵攻以来、欧米では“ペルソナ・ノン・グラータ”(歓迎されない人物)となり、演奏活動を行えなくなったが、3年が経過した今、カムバックを狙っていると言われる。カゼルタのコンサートは、直前になってイタリアの文化大臣、欧州議会の副議長が反対し、結果的にキャンセルとなった。そのこと自体は、どちらかというと予想範囲内だが、興味深いのは、本人が欧州音楽界への帰還を考えるようになったという、「空気の変化」である。 ドイツにいると、「微妙なロシア人音楽家」のカムバックが、時間とともに許容されていることを実感する。戦争が始まった頃、欧米の音楽団体は、ロシア人アーティストに「お前はプーチンを支持するのか」と問いただし、アンチの姿勢を取らなかった人々をブラックリストに載せた。それは異端審問的で、少々やりすぎと感じられたが(故郷に家族がいて、自由に発言できないアーティストも多いだろうに…)、その戦々恐々とした雰囲気は、現在では明らかに薄らいでいる。 その代表例は、ネトレプコである。彼女は目立つ存在ということもあり、当時反プーチンの声明を出すことを厳しく求められた。そして、対応の歯切れが悪かったために、様々なオペラハウスから解雇された。しかし現在では、ドイツ、イタリア、オーストリア、フランスの舞台で普通に歌い、喝采を受けている。似たようなケースは、クルレンツィスだろう。彼は、手兵のムジカエテルナが国営企業であるVTB銀行とガスプロムの支援を受けているために、批判の矛先となった。結果的に、SWR響(南西ドイツ放送交響楽団)のポストを早期退任(当事者たちは、「政治的理由ではない」と強調している)。現在では、ユートピアという(イメージ刷新のために新設された)オーケストラとツアーを行っているが、客の入りは思わしくない。 筆者が気になっているのは、制裁に「半減期」、そして(プーチンとの関わりの程度によって)「個人差」があるのかということである。ネトレプコの場合は、戦争反対の声明を出し、ロシアの政治や経済との癒着が事実ないので、欧州で歌えるようになった。それは、正当な流れだと思う。一方、クルレンツィスのケースは微妙である。ムジカエテルナは解散したわけではなく、現在もロシアで体制企業のスポンサリングを受けながら活動し、サンクトペテルブルクにはその資金で専用のコンサートホールが建つという。評価が依然として失墜しているのは、無理もない。プーチン自身と近い関係にあるゲルギエフが客演できないのは当然だが、それでは彼は、未来永劫欧米で指揮できないのだろうか。カゼルタの一件は、現在のヨーロッパの世論と政治が、それを許容しないことを示している。焦点は、いつしか戦争が終わった時に、彼が再びベルリンやロンドン、ニューヨークに登場できるようになるかである。それは、これまでの経緯からすると、極めて絶望的であると予想される。 この問題は、セクハラで職を失ったロトが、徐々に音楽界に復帰しつつあることともつながっている。彼は来季、SWR響の首席指揮者に就任するだけでなく、ベルリン・フィルやベルリン国立歌劇場にも客演するが、これは呼ぶ側が、「半減期」が過ぎたと考えているためだろう。ドイツ語では、微妙な問題を時間の経過によりうやむやにすることを、「(その上に)草が生えるのを待つ」と言うが、その言い回しが頭をよぎる。121

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