eぶらあぼ 2025.5月号
32/137

今回は台湾と日本の絆を示す特別なツアーです取材・文:柴田克彦 今年の初夏、台湾のトップ・オーケストラ、台湾フィルハーモニックが日本公演を行う。率いるのは世界的指揮者、準・メルクル。彼は2022年から同楽団の音楽監督を務めている。「6年前に初めて客演し、その後音楽監督を探していた楽団からオファーを受けました。引き受けたのは、台湾の人々の温かさや、楽団の質とポテンシャルの高さに惹かれたからです。実際には、年間3~4ヵ月滞在して約12プログラムを指揮するほか、演奏曲目のプランニング全般に関わっていますが、今はこのポストを引き受けて良かったと思っています」 同楽団は1986年に設立され、短期間に急上昇を果たした。「まだまだ若いオーケストラ。大半が台湾人奏者で、外国人は8人です。気質もサウンドも温かみがあって情熱的。しかも非常に柔軟性があり、全セクションに才能豊かな奏者が揃っています」 機能的な水準も低くないという。「アジアの中でみれば、日本の楽団を除いて最も素晴らしいのが香港フィルで、台湾フィルはその次に位置する存在。私はアジアのトップ楽団に育てることを目標にしていますが、凄いスピードで発展し続けています。私が考える質の高いオケというのは、演奏技術が優れているだけでなく、自国やその文化との繋がりを反映し、それを感じてもらえるような楽団。台湾フィルもそんなオケを目指しています」 今回のツアーでは「日本と台湾の繋がりや双方のコラボレーションを重視している」との由。 その1つは「まさにそれがステージ上で展開される」プログラムだ。「メインはマーラーの交響曲第4番(6/1、6/4)。ここではソプラノ独唱を日本人の森麻季さんと宮地江奈さんが務めます。二人ともすでに台湾フィルと共演して芸術的な関係性を築いていますので、皆様にもそれを感じていただけると思います。前半のブルッフの二重協奏曲では、台湾のヴァイオリニスト、ポール・ホワンと、日本のヴィオラ奏者、今井信子さんがソリストを務め、親交の深い二人の芸術性の高いコラボと楽団との繋がりの深さが示されます(6/4)」 マーラーの4番の選曲には別の意味もある。「我々は今、数年かけてマーラー・サイクルを行っています。台湾フィルはマーラーをこよなく愛していますし、4番はカラフルな色彩感が楽団にとてもマッチしているので選びました」 もう1つは「日本と台湾の絆を表す要素をさらに深めたプログラム」(6/2、サントリーホールでの公演)で、「特別な意味を持つ演奏会」。「このプログラムには背後に大切な人物がいます。それは台湾の総統をされた李登輝氏。彼は台湾の民主化を成し遂げた上に、日本で教育を受け、日本語も堪能で、日本の道徳や伝統を重んじておられました。そして2020年に亡くなられた彼の遺志を継ぐ財団の手助けで作曲されたのが、最後に演奏するゴードン・チンの交響曲第5番です(注1)。この曲は台湾の歴史上の苦難を描いた作品で、今回は第3、4楽章を日本初演します。また、台湾にいる多様な民族の中でも人数が多いのは客家(はっか)と呼ばれる漢民族。本プロで演奏(世界初演)するもう1つの台湾作品、コーチァ・チェンの『故郷の呼び声』は、客家委員会の委嘱で書かれました。チェンさんは今アメリカのカーティス音楽院で教えていますが、台湾の客家の出身で、この曲は合唱を交えて客家文化の様々な要素を描いた音楽です。客家の中では人々の繋がりや家族の絆がとても大切にされていますので、本作でも家族の愛情を感じながら故郷に戻っていくといった気持ちが歌われます。前半のベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、この曲がとてもお好きだった李登輝氏の思いを汲み取る意味で選びました(注2)」 当協奏曲におけるポール・ホワンのソロも楽しみだ。「彼は台湾の若いヴァイオリニストで、特別な才能を持った奏者。今はニューヨークを拠点に世界中でキャリアを積んでいますが、台湾フィルとも親密な関係にあります。今回は素晴らしい演奏をお届けすると同時に、彼と楽団の親交の深さをお伝えしたいと思っています」 様々な点で興味津々の本公演。台湾との交流の意味でも、名匠、名ソリスト、上昇中の楽団のコラボを楽しむ意味でも、ぜひ足を運びたい。29(注1)ゴードン・チンの交響曲第5番は、“許遠東(元中央銀行総裁)と夫人の紀念文教基金会”によって委託創作された。(注2)ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は李登輝の最も愛したクラシック音楽のひとつで、許遠東が結婚した際にこの曲のレコードを結婚記念のお祝いに送ったというエピソードがある。

元のページ  ../index.html#32

このブックを見る