Kazushi Ono/東京都交響楽団 音楽監督「私は都響に育てられてきました」――唯一無二のプログラムで刻む60周年の1ページ取材・文:山崎浩太郎©堀田力丸©Sandrine Expilly 大野和士が東京都交響楽団を初めて指揮したのは1980年代の音楽鑑賞教室だったそうだが、公式には1984年3月15日に新宿文化センターで行われた「ファミリーコンサート」(現在のプロムナードコンサート)が最初の演奏会となる。それ以前の学生時代から、演奏会や練習場で聴く機会も多かったというから、都響60年の歴史のうちの、40年以上を共にしてきたわけだ。 「あのころと今とでは、別のオーケストラのようにも思いますね。いろいろな意味で各奏者が音をひきあう、出しあう感覚の妙が、今は優れているんです。40年前は、各パートがそれぞれに目立つひきかたをしている印象でした。今は、たとえばヴァイオリンが叙情的な旋律をひいているときには、それを支え、いかすためには中低音の弦やトロンボーン、テューバなどがどんな音を出せばいいのか、そうした相互関係の意識、和声感がとても自然に働くようになったと思います」 指揮者の要求のもとに高めていくだけでなく、楽員たちが互いを聴き、感じあいながら、音楽のつくりかたを自ら培っていく。 「これはオーケストラにとってとても大切なことで、お客さんの耳にも特別なものとして伝わっていく。曲に合った特別な音を作るという意味で、すばらしい成果を上げていると思います。自分たちが持つべき音を確信した、といえるのではないでしょうか」 音楽監督(2015年~)としての緊密な関係、コンサートにくわえて新国立劇場などでのピットでのオペラ経験も重ねるなかで、都響には理想的な自律性が生まれつつあるのだ。 さて、これから2026年春までのシーズンにも、大野と都響はさまざまな共演を重ねる。まず9月には定期演奏会で、没後50年のショスタコーヴィチを演奏する。 「記念年なので、人気曲の影に隠れているような楽曲を含めました。交響曲第15番は、第5番や第10番のような戦う音楽と違い、特別な意味を持っている。引用やパロディがたくさん出てきます。でも楽し26んでもらおうというパロディではない。ギリギリの状況で人生を戦ってきたショスタコーヴィチが最後に、芽吹くもの、希望があると感じたのかどうか。その意味を考えていただければと思います」 前半のヴァイオリン協奏曲第2番も、第1番より演奏機会が少ない。イブラギモヴァの情熱的なソロが作品に新たな光を当ててくれるにちがいない。続いて10月には、都響スペシャル「すぎやまこういちの交響宇宙」を指揮する。 「サラダ音楽祭でも毎年すぎやまさんの『ドラゴンクエスト』などを指揮していますが、今回は規模の大きな交響曲『イデオン』やカンタータがありますので、心してかかりたいと思います」 11月には新国立劇場で、大野が早くから都響との演奏を熱望していた、ベルクの《ヴォツェック》がある。年が変わって2026年は、3月に2回登場する。まずは定期演奏会でのブリテンの「春の交響曲」ほか。この曲の演奏はコロナ禍で2回延期され、ようやく実現する。 「プレヴィンの『春遠からじ』に始まって、春がだんだん近づいてきて、ブリテンで盛大に言祝ぐ、という構成です。ブリテンの声楽つきの作品がとても好きなんです」 この日は大野の誕生日なので、春にふさわしい愉しい演奏会になりそうだ。4日後のプロムナードコンサートも明るい曲が選ばれている。 「メンデルスゾーンの『静かな海と楽しい航海』で静かな海を眺めて、交響曲第4番『イタリア』の終楽章でアルプスを越えます。エルガーのチェロ協奏曲では、ゴーティエ・カプソンの思慮深いチェロが聴けます」 秋のショスタコーヴィチの深い陰影と、春のブリテンとメンデルスゾーンの陽光。このコントラストも興味深い。 「私は都響に育てられてきました。そして今、都響は素晴らしいオーケストラになっています。私以外の指揮者のプログラムも、ほんとうにきらびやかなものです。ぜひ聴きにいらしてください」大野和士
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