テツラフのボイコットにひと言。アメリカは一枚岩か?連載 No.106城所孝吉105ない。現地の事情に詳しくない筆者は知る由もないし、憶測にすぎないのだが。 しかしそれ以上に疑問なのは、テツラフのケースにおいて「アメリカ全体」がボイコットの対象になっている点だろう。現在欧州では、テスラの買い控えが起こっているが、これは理解できるし、アンチの姿勢として正当だと思う。それがイーロン・マスクという人物に向けられたプロテストであり、標的との間に明確なつながりがあるからだ(それが良いことであるかは別として)。同様にテツラフが、(トランプに選ばれたマネジメントによって運営されている)ケネディ・センターに出演しないというのであれば、それも納得がいく。しかし、アメリカ全体を無差別に拒絶するという考え方には、少なからず違和感を覚えてしまう。 昨年アムステルダムで、親パレスチナの極左団体が、エルサレム弦楽四重奏団の演奏会を妨害する(しかける)という事件が起こった。妨害は、(ネタニヤフ政権とはつながりのない)彼らがイスラエル人であるという理由だけで行われたが、米国に対する無差別的ボイコットにも、程度の差はあれ同種のロジックを感じずにはいられない。アメリカ人のすべてが共和党を支持しているわけではないし(事実約半分はしていない)、「トランプに反対する」という理由で十把一絡げに扱えないように思う。国全体をボイコットすることは、当事者の当惑を呼ぶだけでなく、相互理解とオープンな議論を難しくするように感じるが、読者はどう考えるだろうか。 ヴァイオリニストのクリスティアン・テツラフが、トランプ政権へのプロテストとして、今季予定されているアメリカでの演奏会をキャンセルしたという。複雑な心境と言わなければならない。反トランプの姿勢を取ることは、言うまでもなく本人の自由である(テツラフは理由として、彼の親ロシア的、反トランスジェンダー的な政策を挙げている)。しかし米国自体をボイコットすることが、その方法として適切だとは、少なくとも筆者には思えないのである。 というのは、それによって「被害」を受けるのが、トランプ自身や彼の政権ではないからだ。まず本人は、痛くも痒くもない。その一方で、テツラフを聴きたいと思う聴衆、招聘する音楽事務所やホール、オーケストラは、落胆するだけでなく、窮地に立たされる。ボイコットが彼だけに止まらず、他のアーティストにまで波及したら、大ごとになるだろう。 実際、クリーヴランド管で四半世紀にわたって音楽監督を務めてきたフランツ・ウェルザー=メストは、ドイツのメディアに寄稿し、「欧州のアーティストたちよ、アメリカをボイコットしてくれるな!」と訴えている。曰く、「米国の音楽団体は(ヨーロッパと違い)スポンサリングで運営されている。だから政府寄りではないし、スポンサーの精神はヒューマニズムである」、「もしヨーロッパの音楽家たちがボイコットしたら、スポンサーが離れてしまい、オーケストラは運営できなくなる。そうなれば、この国は文化の砂漠となってしまう」。 それゆえ「我々のためを思うならば、引き続き来てほしい」と訴えるのだが、いまひとつ歯切れが悪いように感じる。なぜ欧州のアーティストが減るとスポンサーが脱退するのかが、言われていないからである。アメリカ国内にも一線級のソリストは沢山いるし、欧州人だけに頼っているわけではあるまい。ひょっとすると彼が言いたいのは、「海外からの客演者が反トランプ的姿勢を取ると、共和党支持のスポンサーが離脱してしまう」ということなのかもしれProfile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。10年間ベルリン・フィルのメディア部門に在籍した後、現在はレコード会社に勤務。
元のページ ../index.html#108