eぶらあぼ 2025.4月号
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5/3(土・祝)、5/4(日・祝)、5/5(月・祝)東京国際フォーラム、大手町・丸の内・有楽町、東京駅、京橋、銀座、八重洲、日比谷、みなとみらい□ ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2025 運営委員会事務局  lfjtokyo2025@kajimotomusic.comhttps://www.lfj.jp※音楽祭の詳細は上記ウェブサイトでご確認ください。©Marc rogerRené Martin/ラ・フォル・ジュルネ アーティスティック・ディレクター「作品が語る歴史の記憶(メモワール)を存分に楽しんでください」Interview  ゴールデンウィークの風物詩、「ラ・フォル・ジュルネ TOKYO」が今年もやって来る。テーマは「Mémoires(メモワール)―音楽の時空旅行」。アーティスティック・ディレクターのルネ・マルタンは、音楽史における中心都市の移り変わりと経済の隆盛との関連に着目し、その都市がもっとも輝いていた時代に当地で書かれた作品を選んでプログラムを構成した。 「音楽史を振り返ってみると、いつの時代も経済的な繁栄を遂げた都市が、音楽家たちを照らす灯台のような役割を担っていました。17世紀には、国際交易で成功を収めたヴェネツィアがヨーロッパの音楽の首都となります。モンテヴェルディやヴィヴァルディといったバロックを代表する作曲家たちは、サン・マルコ大聖堂を中心に、この水の都で新たな音楽様式を生み出しました。 18世紀に入ると世界経済の中心はロンドンへと移り、多くの作曲家がこの街を目指しました。ヘンデルは当初ヴェネツィアで活路を見出そうとしますが、その後ロンドンで才能を開花させます。ハイドンも晩年にこの街で自らの集大成といえる『ロンドン交響曲集』を発表しました。 18世紀の終わりから19世紀にかけては、ウィーンが音楽の中心都市となります。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンに始まり、シューベルト、ブラームスから、ブルックナー、マーラー、新ウィーン楽派に至るまで、ウィーンの栄光が100年続きました。ロマン派の音楽はこの地で大きく発展したのです。 19世紀の終わりにはパリが作曲家たちを引き寄せました。パリでたびたび開かれた万国博覧会は世界各地の音楽を“光の都”にもたらし、遠くロシアやアメリカからも作曲家たちが集って、国際色豊かな音楽文化が華開きました。 ふたつの世界大戦を境に音楽の中心はニューヨークへと移り、この街は今日までその地位を保っ32取材・文:八木宏之ています。アメリカでは伝統的なクラシック音楽だけでなく、ジャズやミュージカル、映画音楽といったさまざまなジャンルが発展し、ポップミュージックの影響を受けて、ミニマル・ミュージックのようなユニークな音楽様式も生まれました。 私はこれらの都市がもっとも輝いていた時代にその街で生み出された作品を通して、皆さまを音楽の時空旅行にお招きします。一つひとつの作品が語る歴史の記憶(メモワール)を存分に楽しんでください」 そうしたマルタンのコンセプトのもと、「ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2025」では、サンクトペテルブルク、ライプツィヒ、プラハ、ブダペストにもスポットが当てられる。人気作だけでなく、今日ではあまり演奏されることのない秘曲を紹介したり、誰もが知る名曲に現代のエッセンスを注入したり、そのラインナップはバラエティに富んでいる。 「ジュリアン・マスモンデ率いるアンサンブル・レザパッシュは、ラヴェルやドラージュ、ストラヴィンスキーが活躍した20世紀初頭のパリへと皆さまをお連れするでしょう。ポール・レイと壷阪健登の鮮やかな即興演奏は、アメリカの偉大なジャズの歴史を体感させてくれるはずです。ルカ・ファウリーシとともに世界の四季をめぐるコンサートも見逃せません。 勇気を出して知らない作品を聴いてみること。ライブで得た感動を見知らぬ人と同じ空間で共有すること。そうした体験はなにものにも代え難いものです。東京国際フォーラムで皆さまと音楽を分かち合えることを楽しみにしています」ルネ・マルタン

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