eぶらあぼ 2025.4月号
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それでも踊るそれでも踊る者たちのために者たちのために第126回 「同じ動きを繰り返すダンス。なぜ?」しながら踊る。 が、日本の観客は総じてまだピンときていない感じだ。 「ダンスは物語や、せめて自分が伝えたいことを表現(要は具現化)したもの(であるはず。であるべき)」という感覚が割とべったり染みついているからである。 昔のモダンダンスは物語を得意としていたし、きょうびのヒップホップでも歌詞を翻訳したような動きがもてはやされる。意味が大事。 おまけにコンテンポラリー・ダンスは1990年代頃コンセプトばっかりのノンダンス(舞台上で延々コーヒーを飲んだり、ひたすらジャンプを繰り返して最後は大の字に寝っ転がるとか)が流行った時期がある。「繰り返しのダンス」には嫌悪感を持っている人もいるだろう。 だがそれらと昨今の「リズム物」は、根本的に違う。まず優れたダンス技術と、動きを展開していく構成力が要求される。さらに大事なのはマスゲーム的にひたすら個を消した完璧なシンクロではなく、どうしようもなく浮かび上がる個々の差異、あるいは動き続ける身体だけがおびき寄せる独特な感覚(境地といってもいい)があるのだ。 オレは宮のレビューにこう書いた。「『動き』を見せるのではなく、見えないものを動きによって浮かび上がらせようとする試み」。その領域に斬り込んでいるのが「リズム物」なのだ。なんかもっとマシな名前を考えなきゃいかんが。 久しぶりに、初来日のコンテンポラリー・ダンスカンパニーが話題になった。ドイツのマインツ州立劇場に所属するタンツマインツ『プロミス』である。振付はシャロン・エイアール。昨年のNDT公演でも彼女の作品『Jakie』があり、強い印象を与えた。それを契機に今回見にきた人もいただろうが、今作では冒頭に戸惑ったかもしれない。アクティング・エリアの三方を暗い背の高い壁で囲み、出口なしの状況でほぼ止まることなくリズムに合わせて踊り続ける。「男女均一のレオタードを着て、密集して動き、ルルベ(カカトを上げたまま踊るバレエ用語)で同じ動きを繰り返す」という冒頭が、『Jakie』と同じ印象を与えるからだ。 これは無理もない。シャロンの作品はほぼそういうスタイルだからだ(もちろんそこから展開していくが、基本のスタイルはキープし続ける)。筆者は2000年頃シャロンがバットシェバ舞踊団のメインダンサーだった頃から見ている。その後自分のカンパニーL-E-Vを立ち上げ、「体操とダンスが融合したような独特なスタイル」が完成したのである。 で、こういう一見単調に見える動きをあえて繰り返す「リズム物」的なスタイルが、ここ数年目につくのである。 以前イタリアのフェスティバルで見た、ギリシャのクリストス・パパドプロスは、メトロノームでずっと刻まれる音の中、少しずつ腕や身体を動かしていく「だけ」の作品で好評を得ていた。彼は今年、権威あるローズ国際賞を『ラーセンC棚氷』で受賞しているが、やはり同じスタイルである。 フランス拠点で来日もしているピエール・リガルの近作『HASARD』もこの系統だ。 海外だけではない。今年吉祥寺ダンスリライトで上演された宮悠介の『暁鶏』も、ダンサーの一人が後ろ向きでずっとジャンプしている作品。2020年の康本雅子『全自動煩脳ずいずい図』も長時間ダンサーが腰を振り続けている作品だった。鈴木竜の『TAMA』もけん玉の「もしかめ」のリズムをキープ128Profileのりこしたかお/作家・ヤサぐれ舞踊評論家。『コンテンポラリー・ダンス徹底ガイドHYPER』『ダンス・バイブル』など日本で最も多くコンテンポラリー・ダンスの本を出版している。「ダンス私塾オンライン」開設。皆様の参加をお待ちしております!乗越たかお

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