eぶらあぼ 2025.2月号
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左より:沼尻竜典/京都市交響楽団 ©井上写真事務所 井上嘉和/重島清香/宮里直樹 ©Yoshinobu Fukaya/aura.Y2びわ湖ホール マーラー・シリーズ沼尻竜典 × 京都市交響楽団 「大地の歌」第一線で活躍するふたりの歌い手と描く芸術の極致文:中村孝義 沼尻竜典は、2023年3月に16年もの長きにわたって務めたびわ湖ホールの芸術監督を任期満了で退任したが、その後も神奈川フィルの音楽監督のポジションを軸にしながら、コンサートに、オペラにと、関東・関西を問わず八面六臂の活躍を展開している。びわ湖ホールとも、桂冠芸術監督の肩書のもと今も関わりを持ち続けているが、その中核にあるのが、20年に第1回を催し、その後24年までに4回の公演を重ねてきた京都市交響楽団との「マーラー・シリーズ」である。第1回はコロナ禍中のため編成の大きな第1番から第4番に曲目の変更を余儀なくされたものの、好調な滑り出しを見せ、その後第1番&第10番よりアダージョ、第6番、第7番と回を重ねるに従って、沼尻本来の後期ロマン派作品に対する適性の高さをより一層発揮。楽譜を緻密に読み込み、そこから獲得した彫りの深い解釈を、大編成のオーケストラに見事に生かし切る精緻な指揮で素晴らしい演奏を展開し、現在のわが国におけるマーラー解釈者としての存在感の大きさを揺ぎ無いものにした。 続く第5回に何を持ってくるかと楽しみにしていたが、何と第9番までの番号付きの交響曲ではなく、番号がついていない「大地の歌」が選ばれた。これ以外の作品が、非常に多様で複雑な様相を見せ、従来の交響曲の概念に必ずしも合致するものばかりではなかったにせよ、あくまでその枠組みから離れなかったのに対して、第9番を書けば、自分の命が尽きるのではないかという強迫観念から、番号付けを避けて書かれたこの「大地の歌」は、様々な見方はあるにしても、形としても完全に交響曲というものから離れた作品となった。つまりこれは、大管弦楽という交響的背景に支えられてはいるものの、いわゆる交響曲に求められる形式感や構成感を基本とする楽曲というよりも、ベートゲが李白らによる唐詩を自由に翻訳・編集した詩集「中国の笛」から7編を選んでつなぐ連作歌曲集のような、全く破格の作品となったのである。 長女マリア・アンナの死や自らの健康上の問題から死を強く意識していたマーラーが、李白らの詩から感じたであろう東洋的な無常観や厭世観が色濃く漂う詩的世界を、耽美的ともいえるほど陶酔的に、管弦楽の色彩を駆使して描いた作品に、沼尻は果たして京響とともにどのように対峙するか。これまで好演を見せてきた4曲(特に器楽交響曲の第1番、第6番、第7番)とは、通底するものはあるにしても、より歌の世界に傾斜した作品だけに、オペラで培った彼の真骨頂がどのように示されるか楽しみである。今回はメゾソプラノにヴァイマール国民劇場の専属歌手としてドイツ各地の歌劇場で大活躍する重島清香と、現在のわが国でトップテナーの一人として高い評価を獲得している宮里直樹の二人が起用されていることも期待に輪をかける。この日は前半に、桐朋出身の沼尻には思い出の深い、齋藤秀雄編のバッハのシャコンヌが演奏されるが、師・小澤征爾の逝去や、その師である齋藤の没後50年を機に、告別がテーマの一つである「大地の歌」に因んで何らかの思いがあるのかもしれない。3/9(日)14:00 びわ湖ホール 大ホールびわ湖ホールびわ湖ホールチケットセンター077-523-7136 https://www.biwako-hall.or.jp/滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールは、関西随一のオペラ劇場として、一流のオペラやバレエに加えコンサートも開催。また、国内外の実力派アーティストが充実したアンサンブルやソロを披露するほか、講座なども開催しています。このコーナーでは、びわ湖ホールが主催する注目の公演をご紹介します。Preview

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