107 11月12日、伝説的テノール、カルロ・ベルゴンツィの息子マルコが死去した。なぜそんなニュースを扱うのかというと、彼はヴェルディの故郷ブッセートで「ふたりのフォスカリ」というホテル兼レストランを経営していたからである。市庁舎(作曲家の名を冠した300席あまりの小さなオペラ座が中に入っている)のすぐ左後ろにあるこのお宿、ヴェルディの足跡を追ってブッセートを訪れる人々にとっては、一種のサンクチュアリ(聖地)なのだ。 筆者ももちろん(と言うべきか?)、初めてこの町に行った時にはここに泊まった。エミーリア地方、ポー川周辺のポプラ並木が立つ平原地帯に、忽然と現れるヴェネツィア風パラッツォ(石造りではなく鉄筋コンクリート製)。周りの環境とは見事にミスマッチというか、異様でさえある。ヴェネツィア総督親子を扱ったオペラゆえだが、入るとすぐの回廊は、物語通りに暗くて物々しい。油断したら、後ろから密偵に刺されそうな雰囲気である。創業は1965年だから、ホテルはベルゴンツィのキャリアが頂点に達した頃にスタートしたことになる。マルコは1957年生まれだそうで、後に父から譲り受けたのだろう。親子二代経営なので、「ふたりのフォスカリ」という命名はピッタリだが、実際の由来はずっと平凡のようだ。「ホテル・オテロ」や「カフェ・アイーダ」は世界中にある一方、「ふたりのフォスカリ」という名の店は、存在しなかったからだというのである。 ベルゴンツィは、近郊のヴィダレンツォという村の出身。作曲家が50年間住んだサンターガタのヴェルディ荘から、1キロほどの場所である(彼は村の教会墓地に埋葬されている)。20世紀を代表するヴェルディ・テノールが、隣村から出たという事実は、偶然以上のように感じられる。少なくともベルゴンツィは、ヴェルディにただならぬ親近感を感じていたに違いない。もちろんマルコも、父と同じ墓に埋葬されたとのこと。ちなみにヴェルディの両親も、同村の墓地に眠っている。 筆者自身の思い出は、ホテルのレストランで、マルコその人に給仕してもらったことである。冬の平日で、泊まっているのは我々だけという状況。当然レストランもガランとしていたが、彼は「エミーリアの代表的料理だから」と言ってローストビーフを薦めてくれた。そして出てきたのは…ドイツのザウアーブラーテン(酢で長時間マリネした牛肉をローストした料理)と寸部違いないものだった。考えてみれば当然である。エミーリアの特産と言えば、パルマハムやパルミッジャーノと並んで、バルサミコ酢だ。それを使って肉をマリネするのは、典型的な料理法に違いない。 翌日チェックアウトする際、我々は「お父さんのファンなんです」等の無粋なことは一切言わず、そのままホテルを後にした。しかし彼は、我々が「巡礼者」であることは、百も承知だったろう。Profile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。10年間ベルリン・フィルのメディア部門に在籍した後、現在はレコード会社に勤務。連載 No.102城所孝吉ヴェルディの故郷ブッセートの名物ホテル「ふたりのフォスカリ」
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