eぶらあぼ 2024.11月号
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文:広瀬大介滞在していた筆者は、19年1〜2月に演奏された《ワルキューレ》を、現地で直接聴く機会に恵まれた。かつてのバイエルン王宮内にあるヘルクレスザールはやや手狭ではあるのだが、繊細な歌唱も、精緻な室内楽的アンサンブルも、この会場ならば聴き手へと確実に届く。録音で聴くことのできる《ラインの黄金》と同様、《ワルキューレ》でも、ラトルはかなり細部にこだわったアプローチを試みていることが窺えた。もちろん長丁場のライブなので、歌手・オーケストラに予期せぬ事故は起きるのだが、演者が音楽に集中できており、演奏会形式の最良の部分が引き出されたのではないか。フルパワーでの出力も、最小単位でのアンサンブルも、どちらも高い精度でこなすスーパー・オーケストラも、さらなる馬力で指揮に応える。ワーグナーという長尺作品においても、一瞬たりとも緊張感が途切れることがない。もちろん、現地のひとたちの人気も上々。常任指揮者ヤンソンスを除けば、客演の指揮者に対しての喝采としては過去最高の熱量が客席から舞台へ向けられていたとおもう。おそらくは、観客の側も、ラトルとBRSOが紡ぐであろう未来への期待をどこかに込めて、その喝采を送ったに違いない。 今年の夏、各地の音楽祭で、ラトルはおもにマーラーの交響曲を披露したが、来日演目ではもっとも得意な演目と言うべきマーラーの交響曲第7番に加え、ブラームスやブルックナー、ワーグナー、そしてウェーベルンやリゲティなど、多彩な曲目を披露する。バートウィスル「サイモンへの贈り物2018」(日本初演)は、まさにこの指揮者へのラブレターであろうし、ブルックナー・イヤーを記念する交響曲第9番の演奏にも期待は高まる。首席指揮者としての初来日となる各地の公演においても、このコンビには、演奏への称賛、そしてこれからの期待を込めた、大きな喝采が送られることだろう。©BR - Astrid Ackermann28サー・サイモン・ラトル(指揮)バイエルン放送交響楽団世界最高峰のオーケストラ、新時代の幕開け バイエルン放送交響楽団(BRSO)とサー・サイモン・ラトル。この両者の組み合わせについては、前任者マリス・ヤンソンスが同楽団の首席指揮者だった時代からたびたび客演を繰り返し、その存在感をアピールしていた。ラトルは2018年にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を退任、その前年の17年にロンドン交響楽団の音楽監督に就任したこともあり、世界中から引く手あまたのラトルが、ほんとうにミュンヘンの名門オーケストラにやってくるのだろうか、と噂の種ではあり続けていた。 それでも、BRSOが、ラトルとの仲を大切にしているのであろうことは、その頃から伝わっていた。その理由のひとつが、BRSOと取り組んでいるワーグナー《ニーベルングの指環》四部作の演奏にあった。おそらくラトルは、上演に大変なコストと手間暇がかかるこの作品を自身の人生における要所で採り上げることが、オーケストラと自身の絆をさらに深めることになると確信していたのだろう。ベルリン・フィルとは《指環》のみならず、ワーグナーのオペラ作品を積極的に演奏会形式で採り上げており、またBBCプロムスにおいても、エイジ・オブ・インライトゥメント管弦楽団と取り組んだことがある。ラトルにとって、ワーグナーは「勝負曲」のようなものだった。 そんなラトルが、年一度のBRSOとの共演にこの作品を選ぶことには、このオーケストラとの特別の関係を内外に宣言することでもあったはず。《ラインの黄金》は2015年、《ワルキューレ》は19年に演奏され、その後《ジークフリート》はコロナ禍を挟んで23年にようやく実現。遠からず、《神々の黄昏》も演奏され、この10年がかりのチクルスもいずれ終わりを迎えるはずである。24年11月初旬、来日直前には豪華キャストによる《トリスタンとイゾルデ》第2幕の演奏会形式上演も予定されている。 いささか旧聞に属するが、2018年度にミュンヘンに

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