験を決意。岡山県の作陽音楽大学(現・くらしき作陽大学)に合格を果たした。♪♪♪ 音大卒業後はプロになるつもりだったが、たまたま長崎県立壱岐高校から音楽科教員としての臨時採用の話が来た。明夫先生は引き受けることにしたが、リーゼントや派手な服装といった自分のスタイルを決して変えようとはしなかった。 そして、吹奏楽部の部員たちを指導するうちに、そこにかつての自分自身の姿を見た。「親父が命がけで俺を応援してくれたように、俺も吹奏楽が大好きな高校生たちの背中ば押す仕事ばしよう、と思うようになったんです」 翌年には長崎県の教員採用試験に合格し、晴れて「リーゼント先生」が誕生したのだった。 島原、対馬の高校で教員を務め、2008年から故郷の佐世保市にある県立佐世保東翔高校に赴任。約80人という大所帯の吹奏楽部の顧問になった。 活動の幅が広がる中で、大きな事件が起こった。明夫先生と同じ音大を受験する予定だった佐世保東翔3年のトランペット奏者、前川希帆が入試当日の朝、母親の車で駅へ向かう途中に対向車に正面衝突され、前歯4本を折るなどの怪我を負ったのだ。相手は無免許・酒気帯び運転だった。 顔中を傷だらけにした教え子の姿に、先生は涙した。拡大版はぶらあぼONLINEで!→♪♪♪左より:中村明夫先生、前川希帆先生35管楽器の演奏の要となる前歯がなくなったことを知ると、それを取り戻すため、夜明け前の暗闇の中で事故現場の地面を必死に手探りした。 結局、前歯は見つからなかった。だが、前川希帆は苦労の末、義歯を入れて楽器が吹けるようになり、音大を出て長崎の高校教師になった。いまは九州文化学園高校で吹奏楽部の顧問を務めている。明夫先生がいる長崎短期大学の系列校だ。吹奏楽部は師弟による二人三脚で指導している。 「前川には俺を超える存在になってほしいけど、俺も簡単に超えられるわけにはいかんけん、まだまだ頑張ります」と明夫先生は優しく微笑んだ。 明夫先生は2022年度まで佐世保東翔で勤務したが、佐世保市外への異動がほぼ確実になったこともあり、高校教師を辞めて現職に就いた。これからも故郷の佐世保を吹奏楽で盛り上げるためだ。 また、佐世保市の部活動専門指導者として市内の中学校を指導し、隣の西海市から要請を受けて音楽プロデューサーにも就任するなど、県北エリアの吹奏楽界の中心的存在となっている。目標は思いやりのある生徒を育て、子どもから大人までを音楽を通じてつなぐこと。そのユニークなキャラクターと精力的な活動は注目を集め、全国ネットのテレビ番組でも取り上げられている。学校近く、九十九島の美しい夕景「子どもたちには、大人になっても音楽を続けてほしい。楽器と一緒に人生を歩んでほしい。もし一緒にやれる人がおらん、場所もなかとなら、佐世保に来い! 俺に集まれ!」 リーゼント先生は佐世保から音楽への愛と情熱を発信し続ける。
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