eぶらあぼ 2024.10月号
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♪♪♪取材・文・写真:オザワ部長(吹奏楽作家)34 明夫先生は1972年、佐世保で生まれた。 初めてヘアスタイルをリーゼントにしたのは小6のときだった。小学校の先生と揉めて「大人は信用できん!」と思い、反抗の象徴として髪型をツッパリブームで流行したリーゼントに。以来、現在までそのスタイルを崩したことはない。 中学校でもグレていたが、「悪さばっかしとったら、高校行けんぞ」と言う教師に反発し、猛勉強。テストで好成績をとって教師の鼻を明かした。 学校もよくサボっていた明夫少年だが、放課後になると必ず参加していたのが吹奏楽部だった。担当楽器はチューバ。先輩に「あんたが来てくれんば、困るとよ」と言われたことも嬉しかった。 「吹奏楽部にだけは自分の居場所がある、と思うとったんやろうね」と明夫先生は語る。 中学を卒業すると、進学校の県立佐世保北高校に入学。リーゼントで吹奏楽部の練習に熱中した。「俺には音楽しかなか。一生続けたい。音大に入って、プロの奏者になろうと思ったんです」 ところが、父親が病気で倒れ、両目を失明。職を失った。家を支えるために就職するしかないと思った明夫少年に、父親はこう言った。「目が見えんくなって、保険金が入ったけん、音大ば受けれ。浪人せんと受かったら、才能あるっちゃろ」 父親の命がけの応援を受け、明夫少年は音大受Vol.26中村明夫(長崎短期大学保育学科准教授)佐世保の中心で吹奏楽愛を叫ぶ「リーゼント先生」の型破り人生 港町・佐世保にこの男あり。真っ赤なベンツを駆り、ド派手なシャツとネクタイで決め、51歳となったいまでもヘアスタイルはリーゼント。 長崎県の有名人、人呼んで「リーゼント先生」こと、中村明夫先生である。 見た目はいかついが、澄んだ瞳で「俺は吹奏楽が好きなだけやけん」と語る明夫先生。実は、佐世保市にある長崎短期大学保育学科の准教授だ。

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