eぶらあぼ 2024.09月号
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121 この夏、5年ぶりにローマで休暇を過ごした。以前はほぼ毎年行っていたのだが、2020年以降のコロナ・パンデミックで習慣が途切れてしまい、今年になってようやく再訪が実現した。その際、筆者が彼地で必ずするのは、サンタンドレア・デッラ・ヴァッレ教会、ファルネーゼ宮、サンタンジェロ城を訪れることである。オペラ・ファンには言うまでもないが、これらは《トスカ》の舞台となった場所だ。 第1幕の舞台となるサンタンドレアには、政治犯アンジェロッティが身を隠す「アッタヴァンティ家の礼拝堂」がある。左側最初の礼拝堂だが、前には鉄製の高い柵があって、(アンジェロッティと同様に)鍵がないと入れない。右手にはプレートが掛かっており、「ここはプッチーニの歌劇の舞台になった」とご丁寧に書いてある。 説明するまでもなく、この「アッタヴァンティ家の礼拝堂」は虚構である。《トスカ》は純粋なフィクションであり、登場人物たちは実在しない。しかしサンタンドレアに来ると、どこか心が躍るのも確かなのである。まるで第1幕の物語が、そこで起こっていたかのような気分になって、不思議な高揚感に包まれる。 そう感じる理由のひとつは、《トスカ》が歴史的事件を背景としているからだろう(ナポレオン軍がオーストリアに勝利する1800年6月の「マレンゴの戦い」)。アンジェロッティやカヴァラドッシが共和制派であることにリアリティがあるし、スカルピアの上司、ナポリ女王マリア・カロリーナは実在の人物である(マリー=アントワネットの姉でウィーンからナポリのブルボン家に嫁ぎ、反ナポレオン勢力の中心となった)。ファルネーゼ宮は当時、ローマにおけるナポリの宮廷であり、第2幕の祝宴が行われることにも説得力がある。そもそも《トスカ》は、実在する場所が舞台に指定されている数少ないオペラだ。歴史的背景と場所が具体的なので、現実感があるのである。 しかし我々が、これらの場所を目前にしてワクワクとするのは、そのためだけではないだろう。例えばヴェローナには、似たようなケースとして「ジュリエットの家」がある。これは13世紀の貴族の邸宅だが、バルコニーがあるだけで、キャピュレット家の館だった証拠があるわけではない。『ロミオとジュリエット』自体、(伝承は存在するものの)フィクションである。にもかかわらず、毎年何万人という観光客がここを訪れる。それはなぜなのだろうか。おそらく我々は、自分が共感する物語が、現実として目に見えるかたちで存在することを求めている。それを直に体験することで、ドラマをより具体的に、身体で理解できるようになるのである。 実際筆者は、サンタンジェロ城の屋上に上ると、どこか感動を覚えずにはいられない。ここで視界を圧倒するのは、真横にそびえるサン・ピエトロ大聖堂の威容である。《トスカ》では、ナポリ王国とカトリック教会の結託が暗示され、両者の権力がスカルピアによって具現化されるが、ミケランジェロの巨大なドームを見ると、カヴァラドッシが銃殺され、トスカが高みから身を投げる悲劇の背景には、教皇の存在があると感じずにはいられない。そうなのである。ある物語に、特定の場所が選ばれることには理由がある。作者たちは、その効果を想定してドラマを描いているのであって、我々が「オリジナルの場所」で特別な感興を覚え、「腑に落ちる」のは、ある意味で当たり前なのである。Profile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。10年間ベルリン・フィルのメディア部門に在籍した後、現在はレコード会社に勤務。 No.98連載城所孝吉ローマで「《トスカ》の舞台となった場所」を訪れる

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