eぶらあぼ 2024.8月号
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24取材・文:青澤隆明 写真:中村風詩人 ある作品を指揮者が生ききり、オーケストラとともに表現することで、私たち聴衆も創造性をもって、いまを生きることができる。 「そうなのです。だからおそらく、すべての音楽はコンテンポラリーである。その場で生まれる、ということが音楽の素晴らしさだと私は思います。そのたびごとに、その場所で生まれては消えていく芸術ですから」 新シーズンには、ベートーヴェンからシェーンベルク、ベルクにわたる独墺音楽の展望が拓かれ、スラヴやロシアのレパートリーも加えられている。 「シーズン全体を通じて、私が首席指揮者である価値をきちんと示し、N響にふさわしく、みなさまにとって興味深いプログラムがつくれたと思います。新たなレパートリーとしては、たとえばブルックナーの交響曲第8番をこのたびはオリジナル版で取り上げます。生誕150年のシェーンベルクの『ペレアスとメリザンド』は上演機会も少ない。リストもドイツのロマン派レパートリーとしてたいへん重要です」 そして、マーラーである。シーズン終盤の5月定期に続き、アムステルダム・コンセルトヘボウに招かれ、「マーラー・フェスティバル2025」でコンセルトヘボウ管、ベルリン・フィルらと並んで、交響曲第3番と第4番を披露する。 「マーラーは非常に大切なレパートリーですし、第3番と第4番はオーケストラのクオリティを示すのにぴったりの曲。アムステルダムからの招待は、N響に対する大きな賞賛の気持ちの表れとして誇ってよいことだと思います」 では、指揮者、音楽家、現代に生きる人間として、ルイージが成し遂げようとしていることはなんだろうか。 「できるかぎりのことをする。可能なかぎり真面目に、自分の最善を尽くす。私はプロフェッショナルとして、倫理的に非常に高いものを目指しています。それは私の存在意義そのもの。それだけに責任も大きい、まずなによりも聴衆に対して、もちろんオーケストラに対しても。自分がしていることが正しいかどうか、つねに考えながら取り組みます。そのことは、これからもずっと変わりません」Fabio Luisi/NHK交響楽団 首席指揮者音楽は唯一、今日性のある芸術です ファビオ・ルイージがNHK交響楽団と首席指揮者としての3年目のシーズンを迎える。ドイツ・ロマン派の伝統的なレパートリーを改めて王道に据えて、新たな作品にも意欲的に臨み、今日的な感性で息づかせるのが、ルイージとN響の新時代のテーマである。 「2001年から互いをよく知っていますから、新しい関係ではないですけれど、非常に密度の濃い日々をともに過ごしています」と、ファビオ・ルイージはしっかりと語った。 「首席指揮者への就任に際して、N響が歴史的に自らの特別な強みを中央ヨーロッパのロマン派の音楽に置いてきたことを重視しようというお話があり、それがまさしく私の得意とするレパートリーと合致したのです。スウィトナーさんやサヴァリッシュさんの演奏は私も大好きで尊敬していますが、彼らのスタイルを模倣するという意味での継承を目指してはいません。私のアプローチは、作曲家がどういう意図で書いたかをスコアから直接学ぶことを第一とします。当時の演奏法を想像した実践という方法は採りません。私が読まなければいけないのは、学問の書物ではなく、楽譜です。音楽学やドグマに従うのは、私たちの仕事ではない。私たちは音楽をしなければいけないのです」 たとえば、自分が指揮するメンデルスゾーンは現代のメンデルスゾーンでしかあり得ない、とルイージはさらに言う。 「現実というものは書物のなかにはないと思う。博物館的なプロジェクトをすることになぜ私は興味がないかと言えば、音楽というのは唯一芸術の形として今日性があるものだと考えているから。スコアを研究して、それを今日の私の経験や感受性で演奏する。そこに表現されている精神性には人間どうし、当時の作曲家と私には理解し合えるものがあると思うからです。それを今日の道具――私たちがいま持っているもの、現在の私たちのありかたや考えかたを使って、今日の私たちの演奏にしていく。つまりは、『今の話として語れるかどうか』。表面を模倣するのではなく、芸術作品の深みを理解したいのです」ファビオ・ルイージ

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