取材・文:青澤隆明 どことなく静かなのである。ブルース・リウと話していると、そのように感じる。語っていることはごくシンプルなのだが、自然と落ち着いている。明朗で率直なのは、彼のピアノと変わらない。いや、ピアノのほうがずっと伸びやかだということもできる。 彼の演奏を私が最初に聴いたのは、2016年の仙台国際音楽コンクールのファイナルだった。とくにモーツァルトのへ長調協奏曲 K.459では、節度ある見事な統制のなか、声部の描き分けにも細かな配慮を行き届かせていた。「ファイナリスト中、最年少であるだけでなく、もっとも才能を感じさせただけに、後の伸びやかな成長が期待される」と同コンクールの公式レポートにも書いた。ショパン・コンクールで優勝するのは、その5年後のことだ。 「Oh, my god! それは良い予測でしたね(笑)。でも、あのときの自分にはまだまだ経験がなかった。ショパン・コンクールのときとよく似ていて、なんの期待もしていなかったから、とても快適でした。なにも考えていないときは、すべてがただナチュラルになる。期待をもつと、自分自身というより他の誰かのために演奏するようになってしまう」とブルース・リウは言う。 「僕はステージの上でリスクをとるのが好きですが、他の誰かのことを考えたら、ほんとうに危険を冒したくなくなる。2000人の前でミスはしたくないものです。でも、それでは面白くない……」 音に精細な配慮をもつピアニストだが、自分の音を見出したのはいつ頃なのだろう? 「ああ。こども時代の記憶というのは消えないものですよね。12歳や13歳の頃、ほんとうにソフトに弾くことをはじめました。それで、どの先生にも実体を欠いていると言われましたよ。骸骨のようで、肉がない、色がないと。それから、何年もかかって、僕はソフトな音にかえってきて、しかもそれが実体をもつものになった。仙台コンクールのときは大きなホールに充分な音をもっていなくて、そこが自分の主たる弱点だと思いました。それからが長い道のりでした(笑)。ルービンシュタインは最後列に座っている聴衆のことを考えて演奏すると言いましたが、僕も大きなホールで演奏しはじめて、それを学ぶようになりました。ただ、こども時代の影響というのは永遠に消えないものです」 どうして、それほどまでに柔らかく小さな音に惹かれたのだろう? 「たんに、どれだけよくコントロールしてソフトに弾けるかを示したかったのだと思います、音楽のことを考えたとかいうのではなくて。人がまず速く演奏したがるのと同じようなもので、こどもだからさして考えもないのでしょう(笑)。もちろん、それから自分も変わりましたけれど」 では、いま彼にインスピレーションを与えているのは、どのような音楽家や体験なのだろう? 「どの指揮者とも長くコラボレーションできるのはいいことですから、ツアーをしているときはかなり良い印象があります。音響の良いホールで演奏するのもうれしいことですね。これは私の哲学ですが、練習のときには敢えて良くないほうのピアノを弾く、そうすればステージに出たときにインスパイアされていると感じるようになりますから。私の先生ダン・タイ・ソンも言っていましたが、彼にとってショパン・コンクールは最初のコンクールで、コンチェルトをオーケストラと演奏するのも初めてだった。経験がまったくない、けれど初心のフレッシュネスがあった。それは僕もおなじで、ホ短調協奏曲をオーケストラと弾くのもショパン・コンクールが初めてなら、ファツィオリでそれを演奏するのも初めてでした。もし良い雰囲気で、自分がちゃんとしてさえいれば、初めてということが大きな成果をもたらします」 今年2月に続いて10月にも来日し、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」を演奏する。フランスの新鋭アラン・アルティノグルが指揮する、フランクフルト放送交響楽団との共演である。 「いまの話に繋がりますが、アルティノグルさんともオーケストラとも初顔合わせなんです。新しい出会いが僕はいつも楽しみでならない。とは言っても、ベートーヴェンの第5番だから、そうそう驚かされることはないと思います、ショパンと比べればより安全な作品ですから」Profile2021年第18回ショパン国際ピアノコンクール優勝。これまでに、ウィーン響、ロッテルダム・フィル、ルクセンブルク・フィル、ロイヤル・フィル、チューリッヒ・トーンハレ管、ニューヨーク・フィル、サンフランシスコ響、フィラデルフィア管、N響、グスターボ・ヒメノ、ヤニック・ネゼ=セガン、ジャナンドレア・ノセダ、ラファエル・パヤーレ、ヴァシリー・ペトレンコ、ユッカ=ペッカ・サラステ、ラハフ・シャニなどと共演。ドイツ・グラモフォンの専属レコーディング・アーティスト。27新しい出会いが楽しみでなりません
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