eぶらあぼ 2024.7月号
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107 この5月、アムステルダム・コンセルトヘボウでは、エルサレム弦楽四重奏団の2回の演奏会をキャンセルした。オランダでは、他の欧州各国と同様に、反イスラエル運動が激化している。大学などで大規模なプロテストが行われているが、同ホールでは、「安全が確保できない」という理由から彼らのコンサートを自粛。この決断は国際的な批判を浴び、アルゲリッチやキーシン、ムターを含む音楽家や音楽関係者、一般市民多数がオンライン陳情書に署名した。ドイツの新聞でも、厳しい論調の記事が掲載されている。 コンセルトヘボウの判断が、なぜここまで強い反発を生んだのだろう。それを理解するためには、「民主主義」について考えることが必要である。原則的に、特定の芸術家に対してプロテストをすることは、問題ではない。例えばネトレプコの演奏会では、ウクライナ人を中心としたグループが劇場の前で反対活動を行っている。それは彼女がプーチン大統領に近い存在で、彼から距離を取る姿勢を(十分に)示していないと考えられているからだ。その主張の是非や行動のあり方はともかく、プロテスト自体は民主主義の範囲内にある。なぜなら彼女がプーチン大統領に近かったことは、事実だからである。 しかしエルサレム弦楽四重奏団の場合は、事情がまったく異なっている。なぜなら、彼らはイスラエル政府の政策に対して、何ら発言を行っていないからである。もし彼らが、ネタニヤフ政権を支持する声明を出しているのであれば、プロテストは理解できる。しかしここでの反対グループは、彼らがイスラエル国民、ユダヤ人であるという理由だけで、妨害を計画していたのだった。これは特定の国民、宗教への所属者、人種を拒否・差別するという意味で、明らかに反民主主義的である。その際、イスラエル人ではない数多くの音楽家が、陳情書に署名したことは当然だろう。「自分がある国の国民であるというだけで、国の政治の責任を負わされるなんて、とんでもない!」と思うからである。それは欧米に住むロシア人アーティストならば、多くの人が身をもって感じているだろう。 コンセルトヘボウが批判されたのは、そうした反民主主義的な考え方や行為に、(それが実際に起こる前に)自ら屈したからである。彼らがすべきだったのは、「民主主義を守るために」警備を万全にし、演奏会を敢行することだったと思う。もちろん現地の状況を知らない我々が、こうした批判を行うことは簡単である。ひょっとすると市内の空気は、想像できないほどに緊迫しているのかもしれない。プロテストを計画していたグループは、エルサレム弦楽四重奏団の演奏会を過去にも妨害しているとも聞く。しかしそうした側面を鑑みても、コンセルトヘボウの判断は、民主主義の原則を自ら放棄するものだと考えられても、仕方がないだろう。 後日談だが、コンセルトヘボウではその後、キャンセルを取り下げ、2回の演奏会のうちの1回を実施した。もう1回は、機会を改めて行われるという。Profile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。10年間ベルリン・フィルのメディア部門に在籍した後、現在はレコード会社に勤務。 No.96連載城所孝吉アムステルダムにおけるコンサート自粛問題、その核心は?

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