eぶらあぼ 2024.6月号
32/141

29文:奥田佳道 今をときめくアンドリス・ネルソンス(1978年、北欧バルト三国のひとつラトヴィアの首都リガ生まれ)の熱く、ひたむきな音楽づくりに惚れ込み、彼の躍進に手を差し伸べたのが、伝統と格式を誇りながら実は進取の気性に満ちたウィーン・フィルハーモニー管弦楽団である。このオーケストラの芳醇な響きを愛してやまない私たちも、もちろんネルソンスの抜擢に喝采を送った。 忘れもしない。2010年11月1日、32歳の誕生日を目前にしたネルソンスがサントリーホールで奏でたモーツァルトの交響曲第33番変ロ長調とドヴォルジャークの「新世界より」の颯爽とした演奏を。「ウィーン・フィルハーモニー ウィーク イン ジャパン 2010」の栄えある初日公演だった。 すでにウィーン国立歌劇場でチャイコフスキーの《スペードの女王》、バイロイト音楽祭で《ローエングリン》の新演出を任され、バーミンガム市響の音楽監督としても好評さくさく。ロイヤル・オペラ、メトロポリタン・オペラ、ベルリン・フィルにも名乗りを上げていた。オペラとシンフォニーの両輪で輝き始めたネルソンスは、破格の存在感を誇る新星。噂の指揮者の「デビュー」だった。サントリーホールを仲立ちに、ウィーン・フィルと早くも相愛の音色を紡ぐ覇気あるマエストロ。ほんとうに愛されていた。 ほどなくネルソンスの争奪戦が始まる。射止めたのはボストン交響楽団とライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団で、ボストン響とのマーラー、ショスタコーヴィチ、ゲヴァントハウス管とのワーグナー、ブルックナー、両団体を交えたリヒャルト・シュトラウスなど、話題の録音やステージをいくつも挙げることができる。 いっぽう、いや「私たちが最初にネルソンスを見出したのですよ」と言わんばかりにウィーン・フィルも最重要プロジェクトをネルソンスに委ねる。楽友協会大ホールでの公演と連動させながら制作したベートーヴェンの交響曲全集。ベートーヴェン芸術の言わば使徒と化したこのコンビは、ニューイヤー・コンサート2020とシェーンブルン宮殿野外ステージでのサマーナイト・コンサート2022でも世界のファンを喜ばせた。 今ツアー後に46歳を迎える練達ネルソンスは、好みの音像、語るべき音楽を明確に掲げた上で、しかしそれらをオーケストラに無理強いしない。熱量はとてつもなく、ときに驚がくの解釈も披露するが、そうした波、うねりが嫌味なくオーケストラに伝播するというべきか。ゆえに名門がこぞって共演したがる。定期的に指揮台に立ってほしい人なのだ。 オープンマインドな視座で楽曲に尽くす熱血漢ネルソンスと、新世代・新時代もキーワードとなるウィーン・フィルの美質を生かす選曲を見よ。 嬰ハ短調の葬送行進曲で始まり、ニ長調の壮麗なフーガ、コラールで締めくくられる長篇マーラーの交響曲第5番への期待は、まさに限りない。誇り高きホルンに妖しいアダージェット。早くもあのかぐわしい音像が立ち昇ってくるかのよう。コンサートマスターのソロ(英雄の伴侶)も主役を演じる変ホ長調ベースの「英雄の生涯」が待ち遠しいというファンも多い。 ディヴェルティメント風の創りに管弦打楽器の妙技、謎めいた叙情が魅力となるショスタコーヴィチの交響曲第9番(1945年11月にムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルが初演)に胸ときめく。豪胆な鬼才ムソルグスキー/ショスタコーヴィチ編曲のオペラ《ホヴァンシチナ》第1幕への前奏曲「モスクワ河の夜明け」とともにネルソンスの十八番だ。烈しくも美しいドヴォルジャークの交響曲第7番ニ短調は、ネルソンスにとってもウィーン・フィルにとっても大切な一曲。熱きスラヴ魂に摩訶不思議な郷愁を誘うリズミックなボヘミア舞曲が織り込まれ、恩人ブラームスをも意識した劇的な交響曲を、いまのウィーン・フィルがさてどう奏でるか。 巨匠の領域を迎えようとしているイェフィム・ブロンフマンの勝負曲ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番ハ短調、凛とした音で思索する音楽家・五嶋みどりのプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調も添えられた。 さあネルソンス、ウィーン・フィル、ソリストの環に抱かれるまで、あと少し。Profileアンドリス・ネルソンスボストン響の音楽監督、ゲヴァントハウス管のカペルマイスターとして、今日の国際的な音楽舞台で最も著名で革新的な指揮者として位置付けられている。ボストン響との録音では4つのグラミー賞を獲得。これまでにベルリン・フィル、ロイヤル・コンセルトヘボウ管などとも共演。ウィーン・フィルとはベートーヴェンの交響曲全曲録音を行ったほか、2020年1月にはニューイヤー・コンサートに登場。22年にはシェーンブルン宮殿でのサマーナイト・コンサートを指揮、24年公演にも意欲的なプログラムを携え再登場する。世界の楽壇を牽引するマエストロが最高峰のオケと織りなす夢のひととき

元のページ  ../index.html#32

このブックを見る