113 ライプツィヒのメンデルスゾーン・ハウスは、メンデルスゾーンが1845年からその死まで住んだ建物である。1997年に没後150年を記念して博物館として開館したが、その内容は、作曲家関連のものとしては、トップレベルに属する。単にメンデルスゾーンの足跡が紹介されているだけでなく、当時のライプツィヒの文化的・社会的状況が広範に解説され、内容に厚みがあるからである。この町を訪れる予定のある人には、ぜひおすすめしたいが、ここで紹介したいのは、メンデルスゾーン家の蔵書にあったという『中産市民のための料理集。経験豊かな主婦の台所より』(1835年)。現物の展示とともに、彼の大好物だったというナッツ・ケーキのレシピがカードに印刷され、持ち帰って自分で作れるサービスになっている。 作り方は以下の通り。 「ミルヒライス2カップを柔らかく煮て、冷ます。砂糖、ひとつまみの塩、レモン汁、すりおろしたレモンの皮、干しブドウ、すりおろしたアーモンドとくるみを混ぜる。5個の卵黄を加えて混ぜ、最後に泡立てた残りの卵白を入れ、さっくりと混ぜ込む。ケーキ型(中央に穴のあるタイプが良い)にバターを塗り、パン粉を厚めにふる。生地を流し込み、中温で最低1時間焼く。焼きあがったケーキは、チョコレートでコーティングしたり、果物を添えたりすると、さらに美味しい」 分量や焼き時間がややアバウトだが、これは「経験豊かな主婦ならおわかりですね!」ということなのだろう。また当時のオーブンは温度が安定していなかったため、焼き上がりは常に様子を見て調整する必要があったにちがいない。いずれにしても、上品で近づきがたいイメージのメンデルスゾーンに、こんな側面があったのかと思うと、急に親近感がわいてくる。日曜日の午後に、コーヒーとケーキで家族と楽しく談笑する彼の姿が目に浮かぶようだ。 同時にレシピ自体も、小麦ではなく、ミルヒライスを使っているところが目を引く。ミルヒライスというと、ドイツのスイーツという印象だが、起源は実は北イタリアにある。ポー川周辺の米の産地の料理で、ドイツには輸入が始まった18世紀後半に伝わったらしい。つまりメンデルスゾーンの時代には、比較的新しいレシピだったのである(ミルヒライスで作るケーキも北イタリア由来で、エミリア地方やヴェネト地方では今日でもポピュラーだという)。もっとも、上記のレシピでは詳しい作り方は省略されているので、アルプス以北でもすでに普及していたのかもしれない。ドイツでは、米を洗わずに4倍量の牛乳で煮たたせ、火力を落として30分ほど炊くのが一般的。煮立ったら焦げないように弱火にし、時々かき混ぜるのがコツである。Profile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。10年間ベルリン・フィルのメディア部門に在籍した後、現在はレコード会社に勤務。 No.95連載城所孝吉メンデルスゾーンの大好物「ミルヒライスのナッツ・ケーキ」
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