eぶらあぼ 2024.4月号
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 東京・春・音楽祭が「ブルックナー生誕200年」を記念して選んだ演目は、ミサ曲第3番。ライブで聴く機会のあまりない傑作であり、また秀逸な歌手と合唱団をフィーチャーできる同音楽祭ならではの選曲で、これは逃がせない好企画だ。タクトを執るのはドイツの名匠ローター・ケーニヒス。世界遺産の「大聖堂」で有名なアーヘン出身で、氏は、そのアーヘン大聖堂の少年合唱団で9歳からブルックナーを歌っていたという。 「3つのミサ曲。モテットの数々。よく歌いましたね。『アヴェ・マリア』など、さまざまな教会堂で何度歌ったことか。ミサ曲第2番など、一部では8声部にもなるのですが、朝10時に儀式で歌うときには、音程をとるのも大変で。そう、ブルックナーとともに育ったようなものです」 ならば音楽家人生においても、ブルックナーは大きな意味を持っているに違いない。 「ブルックナーの巨大さには常に魅了されてきました。彼の音楽には何か超越的なものがあるでしょう。もっとも、その圧を受け付けない人もいます。私自身も、交響曲第5番の終楽章など、これと向き合うのは大変だと思います。最初に指揮したのは交響曲第4番『ロマンティック』でした。サンチャゴでチリ交響楽団のアシスタント指揮者を務めた時分、リハーサルで任されて。ほかに経験があるのは、第6、第7、第8交響曲。だから今回ミサ曲を指揮できるのをとても嬉しく思っています」 ブルックナーは敬虔なカトリック信者だ。しかも今回の演目はミサ曲。キリスト教文化を共有していなければ、真に理解はできないだろうか? 「彼は自信がもてない人間でしたね。交響曲も第5番を除けば、なんども書き直しています。そもそも完璧を、絶対普遍を求める人だったのです。信仰心だって、彼のそれは(制度的なものではなく)普遍的なものです。(世俗的な音楽である)交響曲の第7番に自作の『テ・デウム』を引用してもいますよ。カトリック信者でなければ彼の音楽を理解できないなんて、そんなことはありません。深い信仰心は、より良い世界の希求は、誰の心にも訴えかけます」 ミサ曲第3番からも、交響曲第2番に引用されている。ブルックナーの交響曲と教会音楽を、ことさらに区別する必要はなさそうだ。では、彼のミサ曲の中で第3番の特別なところは? 「コンサートを念頭に置いている点ですね。まず演奏時間が最も長い。そして『グロリア』と『クレド』をはじめから合唱が歌うようになっています。ミサ曲第1番と第2番では司祭が歌い始めますから、典礼で用いても違和感がありません。第3番を儀式で演奏することもありますが、音楽は典礼の枠をはるかに越えています」 ミサ曲の最後の言葉は「我らに平和を与えたまえ」。現下の世界情勢で、どんな意味を帯びるだろう。 「こう言ってよければ、世界はいま関節が外れています。気候変動。戦争。ブルックナーのミサ曲でそれを止められるわけではありませんが、音楽は人間を高めます。ひとたび聴けば、別の人間になるのです。人々に届いてくれるかもしれない一つの呼びかけにはなります」 前半にはワーグナーの管弦楽曲「ジークフリート牧歌」が置かれている。 「ブルックナーはワーグナーを盲目的に崇めましたね。卑屈なくらいに。いっぽうのワーグナーは病的なまでに自己中心的です。完全に正反対。それでもよく合う演目だと思います。『牧歌』は、妻コジマへの誕生日のプレゼントであり、息子ジークフリートの誕生記念でもある。詩的で、抒情的で、繊細。ワーグナーにめったにないくらい(笑)。でも誤解しないでください、私はワーグナーの音楽が大好きなんですよ。彼の反ユダヤ主義思想はひどいものですが」 日本でもすでに出演経験がある(読売日本交響楽団の2003年公演)ケーニヒスだが、今回久しぶりの来日となる。 「オーケストラ、ソリスト、合唱団との協働を楽しみにしています。何より作品が理解されるよう指揮したいと思います」Profile2009年から16年までウェールズ・ナショナル・オペラの音楽監督を務める。アーヘンで生まれ、ケルンでピアノと指揮を学ぶ。1999年から2003年までドイツのオスナブリュック歌劇場で音楽監督を務め、03年以降はウィーン国立歌劇場、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場、ミュンヘン、ドレスデン、スカラ座、ハンブルク、ブリュッセル、リヨン等の歌劇場に客演。モーツァルトからベルクまで幅広いレパートリーで、特にワーグナー、シュトラウス、ヤナーチェクのオペラに力を入れている。33取材・文:舩木篤也ブルックナーの信仰心は普遍的なものです

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