2024年末での指揮活動からの引退を表明している井上道義。2月、NHK交響楽団定期公演への最後の登場となったショスタコーヴィチの交響曲第13番「バビ・ヤール」のリハーサルを終えたマエストロに、現在の心境やラストイヤーの公演についてきいた。——まずは、引退の理由から話していただけますか? 「いろんな指揮者を見ていて、やっぱり誰にもピークというものがある。それなのに年取った指揮者に対してはみんな温かいんだよね。身体が動かなくてもオーラだけで十分です、みたいな。確かにブルックナーだったらそういうところもあるだろう。それでも、例えばショスタコーヴィチのこういう交響曲(第13番『バビ・ヤール』)ができるのか。今のところは立てるけど、痛い。ぶっ壊れていくそういう現実をわざわざ経験したくない。もう(指揮は)十分にやったんじゃない? 僕は自分を、元気でポジティヴな指揮者だと思っている。そうじゃなくなることを僕自身が受け入れられないのです。 実は2024年末でやめるのではなく、23年1月にミュージカルオペラ(《A Way from Surrender~降福からの道~》)を書き終えて、上演して、その年にやめようと思っていました。でも引退が延びたのはコロナ禍があったから。N響が井上とショスタコーヴィチをやりたい、井上のためにお金をかけて良い合唱団(オルフェイ・ドレンガル男声合唱団)を呼んでやろうと言って、20年に『バビ・ヤール』を演奏する予定でしたが、コロナ禍のために4年延期に。この曲があったから引退が延びました」——ラストイヤーである2024年の活動はどのようにしようと考えられましたか? 「幸いなことに、僕がずっと『自分だ』とか言ってきたショスタコーヴィチの交響曲全集の2回目のセットが録音できるというので、それをやろうと思っている。 そして、ショスタコーヴィチに心奪われる前にやっていたマーラーも、若い頃にロイヤル・フィルと録音した第4番、第5番、第6番に他の交響曲を加えると全集が作れるというので、それらも演奏して録音します。ショスタコーヴィチやマーラーの交響曲全集なんていくつも出ているけど、そういう企画を言われたら、人は元気になってやるんだよね(笑)」——秋には全国共同制作オペラ、プッチーニ《ラ・ボエーム》を全国7都市で指揮されますね。 「全国共同制作オペラは僕が始めたんです(注:第1回は2009年の《トゥーランドット》)。僕がオーケストラ・アンサンブル金沢にいた頃です。今回、『最後に何をやりたい?』と聞かれて、いろいろ考えて、《ラ・ボエーム》にしました。僕がオペラを真剣に勉強したくなったきっかけの曲です。カルチェラタン(フランス、パリ)の屋根裏部屋の世界があまりに魅力的に描かれているので、そこに住みたくて、カルチェラタンにフラット(アパートメント)を10年間持っていたこともあります。演出は、森山開次さんにお願いしました。もとはダンサーですが、演出家としてもこれから大いに活躍するでしょう。僕は彼に希望を託しています」——1つのオーケストラでそれらの都市を巡回するのではなく、7都市でそれぞれ別のオーケストラを相手にされますね。 「それは僕の落とし前のつけ方です。これまで僕は教育活動をやってこなかったので。オペラは、その街で作って、そこで何か発見することが大事なのです」——ラストは、12月30日のサントリー音楽賞受賞記念コンサートです。共演は読売日本交響楽団ですね。 「最後にふさわしいものになるよ。読響は良いオーケストラだよ」——最後にひとことお願いします。 「音楽はコンサートホールで聴いてこそ、感動がある。(スマートフォンの)画面だけで観るものではなく、身体中で感じるもの。旅じゃないけど、自分で発見するものです。 今の日本のオーケストラはどこも、時間をとってちゃんと練習をすると、相当に良い演奏ができる時代になっています。この1年、自分の身体と闘って、頑張ろうと思っています」31Profile1946年東京生まれ。ニュージーランド国立響首席客演指揮者、新日本フィル音楽監督、京響音楽監督兼常任指揮者、大阪フィル首席指揮者、オーケストラ・アンサンブル金沢音楽監督を歴任し、斬新な企画と豊かな音楽性で一時代を切り開いた。2023年1月「井上道義:A Way from Surrender 〜降福からの道〜」を総監督として率い唯一無二の舞台を作り上げる。同年3月「第54回サントリー音楽賞」を受賞。2024年12月30日に指揮活動を引退する。取材・文:山田治生 写真:中村風詩人
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