eぶらあぼ 2024.2月号
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 バイエルン放送協会のクラシック部門「BR-Klassik」のウェブサイトには、音楽に関連する様々な記事が掲載されている。そこで最近読んだのが、「あがり症」についてのインタビュー。クラシックの演奏家であがらないという人は、ほとんど皆無だろう。技術的に難しい音楽を人前で演奏するためには、アスリート並みの精神力・体力が必要だからである。同記事では、「あがり症を抑制するための具体的方法」を紹介していた。 質問の回答者は、アンドレアス・ブルツィクという精神療法士である。本人もヴァイオリンを学んだ経験があり、事情はよく心得ているのだそうだ。提案されているのは、①コンサートの状況を前もってシミュレートする、②本番の直前に体を動かす、③聴衆を全体としてではなく一人ひとりとしてとらえる、④音楽的な目標をイメージする、⑤演奏会終了後に出来を分析する、の5点である。 ①は、舞台に上がった瞬間にパニックに陥らないように、状況をあらかじめ把握しておくこと。楽屋から舞台への通り道や、客席の見え方等を「場当たり」してチェックする。これは筆者も講演等の前にやっているので、納得だ。最初に弾くパッセージを何度もさらい、慣れておくのも効果的だという。 ②は、ストレス時に分泌されるホルモンを抑制するためである。体が震えたり手が汗をかくのは、アドレナリンが原因だが、これはクマに遭遇した時と同じ。「ここから逃げたい!」、「戦わなくては!」という衝動の現れだという。そのため、「逃げる」ないし「戦う」状況をシミュレートすれば、自然に収まるそうである。具体的には、階段を一気に駆け上ったりするが、これはなるほど医学的な説明だ。 ④は、プレッシャーを回避する方法。「間違えないように!」と思い詰めると逆効果なので、「聴衆に何を伝えたいのか」と注意をそらすことで、緊張を緩和するのである。⑤は、プロのスポーツ選手が日頃から実践していることだという。「今日の出来は150パーセントではなく90パーセントだったが、それで満足しよう」というメンタル・トレーニングである。これによって、「次回こそ完璧に弾かなくては!」といったプレッシャーの上乗せを防ぐ。 しかし、筆者が一番面白いと感じたのは、③だ。舞台に出た瞬間に最も強烈なのは、聴衆のエネルギーだという。サントリーホールならば2000人が座っているので、当たり前である。「その圧力に押し倒されると、パニックになる」というのが、問題の核心。それゆえ聴衆をマスではなく、個々人としてとらえてエネルギーを分散する。ルービンシュタインは、ピアノまで歩きながら、最前列の「感じのいい人」を見つめたそうだが、家族等の「味方」とアイコンタクトを取ることも、効果的だそうである。 そういえばティーレマンは、フレミングと共演する際には、舞台上でお互いの目を5秒間見つめ合うように、約束していたという。そうすると、緊張がすっと消えるのだそうだ。あのティーレマンがあがり症とは驚きだが、これはなかなかいい話だと思う。Profile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。10年間ベルリン・フィルのメディア部門に在籍した後、現在はレコード会社に勤務。105 No.91連載城所孝吉あがり症との上手な付き合い方とは?

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