28©Bartek Barczyk クリスチャン・ツィメルマンが、2年ぶりに日本ツアーを行う。たった2年の間隙なのに、ずいぶんあいた気がするのは、それだけ彼が日本の聴衆と親しい関係を保ってきたからだろう。 プログラムは10月初めに発表されたが、ヨーロッパ・ツアーを進めるさなかでの告知は以前にもしていたことで、ツィメルマンの慎重な姿勢を証している。演奏会の時点でもっとも弾きたい作品を聴衆と分かち合うことを身上として、できるだけ直近に曲目を確定するのは、彼の誠実さと用心深い正直さの表れだ。ショパン、ドビュッシーとシマノフスキを結ぶユニークなプログラムがそうして編み出された。 日本ツアーは11月4日の柏崎市文化会館アルフォーレが皮切りだが、ここは2016年1月にシューベルト最期のソナタ2作を録音した縁深いホールである。待望のレコーディングは、ツィメルマンにとっては四半世紀ぶりのソロ・アルバムとなって大きな話題を呼んだ。その後、パンデミックのただなか、20年12月にはベートーヴェンの生誕250年に臨み、サイモン・ラトル指揮ロンドン交響楽団とピアノ協奏曲の全集録音を精細な演奏でまとめている。 ソロ・レコーディングへの意欲にも火が点いたのか、昨年秋にはシマノフスキのピアノ独奏曲集を、作曲家の生誕140年にリリースした。こちらは、彼が信頼する豊田泰久が音響設計を手がけたふくやま芸術文化ホール リーデンローズで、同22年6月に収録された新録を中心としたアルバムである。その掉尾を飾った「ポーランド民謡の主題による変奏曲」op.10が、今回のリサイタルの結びにも演奏される。新作には前奏曲集op.1とマズルカop.50からの抜粋に、1994年録音の「マスク(仮面劇)」op.34が併録されたが、これだけをとっても28年もの歳月がシマノフスキの探求に注がれてきたことになる。 シマノフスキのop.1からは3つの前奏曲を2012年にも弾いていたし、もっと遡れば1993年の来日ではドビュッシーの「版画」の後に「マスク」を採り上げたはずだ。できるだけ直近に決定するとは言っても、すべての曲目は長い歳月を通じて、じっくりと機が熟すのを待っていたのであろう。 シマノフスキのアルバムを聴きはじめて、op.1-1が透明な音で聞こえてくるとたちまち、そのやさしい歌いかけに惹き込まれた。多様な歳月や感情の地層の奥深くから、雪解けを待って湧き出てきたような、清らかな悲しみと慈しみがそこにあった。内密であるには違いないが、神秘的というよりはずっと自然で、その意味でも人間的な響きがする。人生の歳月というものが、そのようになにかを濾過していたのだとしたら素晴らしいことだろう。 実際には数多くの作品を渉猟しつつも、コンサートやレコーディングで問うレパートリーには極めて慎重なスタンスをとるツィメルマンだけに、祖国ポーランドの誇る偉才の音楽もまた、長い間ずっと心の内で大切にあたためられてきたに違いない。近年の彼の場合、プログラムの明解な契機となってきたのは、さまざまなアニヴァーサリーである。シューベルトやベートーヴェン、ドビュッシーも、ルトスワフスキ、バツェヴィッチ、ショパンにしてもまさしくそうで、同朋ポーランドのシマノフスキもまた長らく待たされてきたことになる。 このたびのプログラムでは、ショパンの夜想曲とソナタ第2番 変ロ短調、ドビュッシーの「版画」とシマノフスキのop.10を組み合わせている。ショパンの夜想曲はop.9、15、55、62からいずれも長調をとる第2曲が選ばれた。ワルシャワを出てパリに到着する前後に書かれたop.9から歩み出し、op.62-2でショパンの最晩年へと踏み込み、「葬送ソナタ」op.35を経て、20世紀初めのドビュッシーとシマノフスキに着地する。シマノフスキの変奏曲はワルシャワ時代の初期作で、前年の1903年に完成されたドビュッシーの「版画」とはまさに同時代の創作にあたる。 かくして、激動の祖国を離れたショパンの孤独な魂は、その後のパリを生きたドビュッシーをみつつ、若きシマノフスキの意志を通じてワルシャワに帰還することになるのだろう。しかも、それは青年シマノフスキにとって理想化されたポーランドの精神である。母国を深く愛するツィメルマンの心とまなざしが、親密に澄んでみえてくるように思える。クリスチャン・ツィメルマン ピアノ・リサイタル心の帰還――ショパン、ドビュッシー、シマノフスキでの再会に寄せて文:青澤隆明
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