eぶらあぼ 2023.12月号
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121 ダニエル・ハーディングが旅客機のパイロットをしている、という話は、読者もお聞き及びではないかと思う。現在彼は、年の半分をエールフランスで働き、残りの半分を指揮者として活動している。指揮者には、パイロットのライセンスを持っている人が多いが、プロとして職業(副業)にする例は珍しい。パリから飛行機に乗ったら、操縦士がハーディングだった、ということは、現実にあり得るのである。 しかし彼が、「子どもの時からの憧れだった」という理由だけでこの職を選んだと考えることは、おそらく間違っている。ハーディング自身も、動機を聞かれて、おおよそ次のように答えている。 「私は17歳で指揮を始め、30年間ずっと振り続けてきました。指揮者とは特殊な仕事で、100人の音楽家に権威的に接し、自分の意見を通さなければなりません。それに対してパイロットは、小さなチームで乗客の安全を第一に仕事をします。その際私自身のエゴは、まったく重要ではありません。パイロットをすることは、その意味でたいへん健全なのです」 つまり彼は、指揮との関連においてパイロットになったのである。聴衆はあまり意識しないことだが、指揮とは本当に難しい仕事だ。「棒を振り下ろせば、オーケストラが自分の思い通りに演奏してくれる」というようなことでは、決してないからである。むしろその逆だろう。メンバーは、レベルの高い楽団であればあるほど、個々人が音楽についての確固たる意見を持っている。指揮者は、そういうプロ集団に曲についての考えを伝え、意図通りに演奏してもらわなければならない。その際団員たちは、往々にして指揮者の解釈に納得せず、言うことを聞かないのである。つまりオケ演奏とは、指揮者対楽団のバトルに他ならない。理想のイメージを100パーセント貫徹できることはまずなく、指揮者はそれを最大限に実現するために、毎回努力を繰り返すことになる。 ハーディングはある時期からそれに、「疲れ」を感じたのではないだろうか。毎週のコンサートが戦いであり、それを1年中やり続けるというのは、想像するだけでもハードである。彼のように、20歳前に第一線に踊り出て、仕事を続けてきたのであれば、なおさらだ。その行き詰まりをリセットするために(子どもの時からの憧れだった)パイロットになった、と考えるのは、あながち誤った推測ではないと思う。実際彼は、10年ほど前から「指揮は難しい」と繰り返し口にしてきた。「棒振り人生」を今後も続けてゆけるように、セラピーとしてこの道を選んだのだと考えてもおかしくない。 彼の名誉のために書き添えておくが、実はこれはハーディングだけの問題ではない。サイモン・ラトルも、ベルリン・フィルの首席指揮者を退任する際に、「ベルリン・フィルはバトルの相手として強すぎる。これ以上続けられない」という趣旨のことを言っている。ハーディングは、自らこの問題に気付き、自己改革のためにパイロットになったわけで、極めて聡明なのである。事実彼は、空を飛ぶようになってから、以前よりリラックスし、指揮を楽しんでいるように見える。それが今後、どのように彼の芸の肥やしとなり、演奏に影響を与えてゆくのだろうか。筆者はそんな彼の活動に、心から期待している。Profile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。10年間ベルリン・フィルのメディア部門に在籍した後、現在はレコード会社に勤務。 No.89連載城所孝吉ハーディングはなぜパイロットになったのか?

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