125 先月号では「女の愛と生涯」が、シューマンのクラーラへの関白宣言である以上に、彼が「夫としてどうあるべきか」を規定した自画像である、という話をした。彼は完成後、作品に描かれているような理想的な夫、また一家の大黒柱であるべく努力したが、現実には大きな社会的成功を得ることができなかった。妻が演奏旅行をして家計の危機を救う、といった屈辱を繰り返すうちに、本人の心境は徐々に委縮。1840年代の後半には、ストレスから肉体的・精神的変調をきたし、作風もメランコリックで悲痛なものへと変化してゆく。 その頂点に当たるのが、「レーナウによる6つの詩とレクイエム」(1850年)である。当作品は、大詩人ニコラウス・レーナウの訃報(実際には誤報)をきっかけに書かれた。冒頭の〈鍛冶屋の歌〉では、蹄鉄を打つ男が馬に「ご主人様を天国に運べ」と歌うが、これはレーナウのことを指している。一方終曲のレクイエム(同曲だけ作者不詳の「古いカトリックの詩」)は、尼僧エロイーズが恋人・神学者のアベラールの死を弔う歌である。つまり全体は、レーナウを追悼するツィクルスとして構成されている。 しかし各曲をよく見てみると、故人の詩をランダムに選んだわけではないことが理解される。第2曲〈私のばら〉は、萎れたばらに水を注いで息を吹き返らせたいと願う歌だが、失われた愛をよみがえらせたい、という意味にも取れる。また第3曲〈出会いと別れ〉は、「彼女」との愛の終わりを詠んだもので、曲は「若き日の夢が消え去った」と結ばれる。第4曲〈牧場の娘〉では、「少女もやがて結婚していなくなるか、死に連れ去られる」と世の無常が示されるが、第5曲〈孤独〉はさらに深刻。「私」が深い森のなかで報われない愛を嘆き、「さめざめと泣きたい。神以外に自分を解してくれる者はいない」と心情を吐露する。そして第6曲〈重苦しい夜〉では、「私」が破局寸前の恋人と言葉を交わすことができず、「いっそふたりとも死んでしまえばいい」と絶望を叫ぶ。つまり第1曲を除くすべての曲が、愛の終わりとその苦悩を語っている。 これはどういうことなのか。シューマンはここでおそらく、レーナウにまつわる何かではなく、彼自身とクラーラの関係を表現している。彼はやっとの思いで達成した妻との結婚が、思い描いたような幸福なものとはならず、失敗ないし挫折であったことを痛感していた。そしてその悲しみと苦悩、やり場のない諦観を、詩人の言葉に託したのである。その際、末尾に付されたレクイエム(〈イゾルデの愛の死〉にも匹敵する傑作である)は、明らかに彼自身に向けられている。シューマンは自分が死んだ後、クラーラに少なくともその喪失を悼み、「あの人は愛と苦悩から解放され、天上へと旅立った」と祈ってほしいと願ったのだった。 その際驚くべきなのは、「終曲で女性(クラーラ)が死んだ男性(シューマン)を弔う」というツィクルスの構成が、「女の愛と生涯」とまったく同じことだろう。シューマンは、「女の愛と生涯」で妻との希望に溢れる結婚生活を描いた。そして現実を経験した10年後、「レーナウ歌曲集」でその末路を表現した。つまり両者は、「シューマン夫妻の結婚」というコインの表裏なのである。そう考えた時、この曲が作曲家にとって持っていた重みが理解される。「レーナウ歌曲集」は、クラーラとの愛の終焉が映し出された、痛ましくも悲しい「もうひとつの自画像」なのである。Profile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。10年間ベルリン・フィルのメディア部門に在籍した後、現在はレコード会社に勤務。 No.88連載城所孝吉シューマン「レーナウ歌曲集」に「愛の終焉」を聴く
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