eぶらあぼ 2023.10月号
69/173

10/18(水)18:00 東京オペラシティ リサイタルホール問 プロアルテムジケ03-3943-6677 https://www.proarte.jp11/22(水)19:00 浜離宮朝日ホール問 オフィス山根 contact@officeyamane.net https://officeyamane.net他公演 11/23(木・祝) 武蔵野市民文化会館(小)(完売)66大作ヴァイオリン・ソナタ、ドビュッシーやスクリャービンのセンスを独自に消化したピアノ・ソナタ、日本的な節回しを瀟洒なハーモニーで彩る木管五重奏曲や弦と管による八重奏「奇想組曲」といった心境の深まりを反映する代表作を、若い世代を中心とした演奏家により味わう。また今回注目すべきは、戦時中に書かれた代表的交響作品「砧」の4手連弾版だ。平尾の管弦楽曲が演奏される機会は限られているだけに貴重である。イム=サイード音楽院とウェスト=イースタン・ディヴァン管から世界へと巣立ち、様々な出会いの後、欧州のトップ団体の首席奏者となったからである。サーディは、「バレンボイムから多くのことを学んだ。音符の一音一音に意味があり、それを追求しなければならないことを痛感した」と語っている。彼はバレンボイムによって、音楽というユートピア(「フィルハーモニー」という言葉の語源は、「調和を愛する」である)に導かれたが、戦争とコンフリクトが支配する現代において、これは希望に満ちたメッセージであるように思われる。 サーディは、浜離宮朝日ホールにおける日本での最初のリサイタルで、プーランク、ブラームス、R.シュトラウスの作品を演奏する(共演はピアノの沢木良子)。プーランクが友人の死をきっかけにカトリック信仰に傾倒し、内省的な作風に移行し始めた「危機の年」を経て書かれたソナタが入っているところが目を引く。サーディはベルリン時代からピエール・ブーレーズ・アンサンブルに参加し、自らもキャンティ・アンサンブルを設立。室内楽に深くコミットしてきた。それも今の若い音楽家らしく、ソリストになるためだけの教育を受けてきた人とは、やや趣を異にする。我々はこの演奏会で、開かれた世界と若き俊英の新鮮な空気を感じることになるだろう。文:江藤光紀文:城所孝吉平尾貴四男平尾貴四男 歿70年記念演奏会戦後日本の音楽史の礎を築いた作曲家の軌跡をたどる 平尾貴四男は慶應義塾大学を卒業後、パリに渡りモダンな作風を身に付け帰国。第二次大戦が終わると国立音大に奉職、安部幸明らと作曲グループ「地人会」を結成して、教育・創作の両面において旺盛な活動を開始した。その音楽は日本風のテイストを生かしつつも精妙な感性に支えられており、室内楽の分野を中心にきらりと光る作品を残したが、創作の充実期に入ってきた1953年、46歳にして世を去った。 平尾の没後70年に、ピアニストである娘・平尾はるなの企画・構成による記念演奏会が開かれる。25分以上を要するヤメン・サーディ ヴァイオリン・リサイタルウィーン期待の超新星、待望の初来日! ヤメン・サーディは1997年、イスラエル・ナザレ生まれのヴァイオリニストである。2022/23シーズンに25歳の若さでウィーン国立歌劇場管弦楽団のコンサートマスターに就任し、話題を集めた。バレンボイム=サイード音楽院で最初のレッスンを受けた後、イスラエル・フィルのコンサートマスター、チャイム・タウブに師事。11歳でウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団に入団し、6年後にはそのコンサートマスターに就任している。ベルリンのバレンボイム=サイード・アカデミーで学士号を取得した後、さらにクロンベルク・アカデミーでミハエラ・マルティンに学んだという。 以上の経歴を見ても分かる通り、サーディのこれまでの歩みは、故郷イスラエル、そしてバレンボイムと深く結びついている。ナザレは、イスラエルでもアラブ系住民が多い町だが、サーディという苗字もアラブ系。両親は音楽とは関係がなく、彼は当時スタートしたばかりのバレンボイム=サイード音楽院で、ゼロからクラシックの教育を受けた。パレスチナ人との緊張関係にあるイスラエルで、人々が音楽を通じてつながることを目指したバレンボイムと文学批評家エドワード・W・サイードの思想は、サーディにおいて見事に結実したと言える。なぜなら彼は、バレンボ

元のページ  ../index.html#69

このブックを見る