141 筆者はシューマンの「女の愛と生涯」(1840)に、奇妙なこだわりを持っている。基本的にあまり好きではないのだが、この作曲家にとってあまりに重要で、本質的な意味を持っているために、見過ごせないのである。 以前この連載でも扱ったように、この作品は、ローベルトのクラーラに対する「関白宣言」である。主人公の女性が「最も素晴らしい人」の妻に選ばれ、結婚して子どもを産むが、最後に夫が急死すると「世界は空っぽになった」と嘆く。シューマンは、詩を書いたアーデルベルト・フォン・シャミッソー(38歳で19歳年下の女性と結婚した)と同様に、クラーラにこういう妻になってほしい、と願って作曲したわけである。要するに、男性こそが太陽で、女性は周囲を回る衛星という世界観。「私は彼に仕え、彼のために生き、完全に彼のものになりたい。私自身を彼に捧げ、彼の輝きのなかで恍惚としたい」。現代の女性から言わせれば、「それって何よ!」という感じだろう。さだまさしのように、自分で男性の気持ちを歌うのではなく、女性にそのように歌わせるのだから、タチが悪い。 しかし、最近ソプラノの天羽明惠さんから「新説」を聞いて、仰天した。彼女曰く、「実は逆なのよ。ローベルトはここで、クラーラがこうあるべきだという以上に、自分のあるべき姿を規定したんです。彼こそが“最も素晴らしい人”であり、クラーラにとって完璧な夫で、自分が死んだら世界が空っぽになるような人間でなければならない、と言っているわけ」。指摘されてみれば、その通りである。ローベルトはある意味で、自分にプレッシャーをかけたわけだが、問題は、彼が実際にそうした男性であり得たかである。 シューマンは結婚式が済むと、クラーラに(一時的に)演奏活動を禁じ、自分が金を稼ぐと宣言した。大作で箔をつけるために、ピアノ曲、歌曲以外の作品にも手を染めるが、交響曲第1番と「楽園とペリ」以外は、鳴かず飛ばず。ジャーナリストとして稼げるわけでもなく、家計は窮状に陥ってしまう(シューマン家は、ローベルトの父の遺産を食いつぶして暮らしていた)。仕方がなく彼は、クラーラが演奏旅行に出ることを許可する。その結果彼女は、1842、44年のドイツ/デンマーク、ロシア・ツアーで、夫の年収の2倍にあたる金額を稼いだのだった。 つまりローベルトは、「女の愛と生涯」で想定されていた姿とはまったく異なる、甲斐性のない夫だった。自分でも、それを痛いほど感じていたことだろう。彼は旧作を振り返って、「なんであんな曲を書いたのか」と後悔したかもしれない。いずれにしても、1845年以降のシューマンの作品は、こんなはずではなかった、という失意、翼をもがれた天使のような悲しみを漂わせるようになる。その頂点が、レーナウの詩による「6つの詩とレクイエム」(1850)なのだが、その話はまたの機会に。Profile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。10年間ベルリン・フィルのメディア部門に在籍した後、現在はレコード会社に勤務。 No.87連載城所孝吉シューマン「女の愛と生涯」で描かれるのは誰の姿?
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