eぶらあぼ 2023.9月号
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♪♪♪拡大版はぶらあぼONLINEで!→♪♪♪39 結衣の父は出雲一中の吹奏楽部で部長を務めた経験を持つ。当時の顧問は原田実先生。親子で原田先生の指導を受け、部長を務めることになった。 ただ、結衣は出雲二中の出身で、中学時代に全国大会の出場経験はない。いつも「一中はいいなぁ」と羨んでいた。中3のときはコロナ禍でコンクールが中止となる悔しさも味わった。「私も全国大会に出たい!」 それが出雲北陵に入った動機だった。地元のイベントで出雲北陵を見かけたとき、統率された部員たちの様子に圧倒された。それでいて、コンサートは華やかで楽しかった。 運動は苦手だったのでマーチングができるか不安だった。入部当初は苦戦したが、徐々に体力がつき、マーチングを楽しめるようになった。 結衣は座奏の練習にも苦しんだ。出雲北陵の練習は基礎力の養成を重視する。朝練も放課後の練習も、これでもかというほどチューニングや基礎合奏を徹底し、曲の練習時間は短い。「基礎さえできていれば、どんな曲でも短期間で演奏できるようになる」というのが原田先生のポリシーなのだ。左:竹内康貴先生、右:原田実先生 しかし、来る日も来る日も基礎を突き詰める練習に、結衣は体力も精神力も削られた。「もう部活に行くの、イヤだな……」 そう思ったこともある。だが、いざ部活がオフになると、何もやることがないし、やりたいこともない。「私がやりたいことは、やっぱり吹奏楽なんだ。クラリネットを吹くこと以外、私には優れているものがないけん、もっともっと練習して誇れるものにしよう!」 結衣の心は決まった。 苦しかった基礎練習も、続けるうちに演奏の安定感や応用力が増し、「原田先生のやり方は正しいんだ」と思えるようになった。 結衣が1年生だった2021年、出雲北陵は全日本吹奏楽コンクールに出場して銀賞を獲得。全日本マーチングコンテストでは初の金賞に輝いた。 ところが、「今年こそ全国大会でW金賞を」と意気込んで挑んだ翌2022年の吹奏楽コンクールに落とし穴が潜んでいた。中国支部で金賞を獲得したものの3枠の代表に選ばれず、6大会続いていた全国大会の連続出場がストップしたのだ。結衣たち部員は大きなショックを受けた。マーチングコンテストには気持ちを切り替えて臨み、全国大会で銀賞を受賞した。 そして、結衣は部長に選ばれ、今年度を迎えた。「部長の私が全力で取り組む姿を見せんと」 部活が終わった後も、父にカラオケボックスへ連れて行ってもらい、深夜まで個人練習を続けたこともあった。隣室で歌を歌いながら遅くまで付き合ってくれる父への感謝も深まった。「今年はW全国大会出場、そして、W金賞を」 結衣はそう願っている。部員は50人と決して多くはないが、基礎力を鍛え上げた全員の力で不利な条件を跳ね返すつもりだ。コンクールの自由曲は保科洋作曲《復興》。昨年悔しさを経験した自分たちにとっても、7月に豪雨の被害を受けた出雲市にとっても、思いがこもる曲だ。 吹奏楽コンクールの全国大会出場をかけた中国大会は8月21日。どこまでも真面目な出雲人、結衣の心の炎はさらに大きく燃えあがっている。

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