23 池辺晋一郎は、「時代を映し出す鏡」のような作曲家である。 1943年生まれ、60年代の安保闘争の頃に学生時代を送った世代。社会で起きている出来事のすべてに対して、常に鋭敏であり続けてきたし、そこに個人がどう関わるのかという問いを作品の中で発し続けてきた。 音楽のみならず言葉の人でもある。池辺さんと話していると、中原中也や立原道造などたくさんの詩人たちの言葉が、幾らでもすらすらと口をついて出てくる。詩とともに生きている人なのだ。映画『楢山節考』やNHK大河ドラマ『黄金の日日』をはじめ、映画やテレビ、演劇とも長期間にわたり密接に結びついてきたことも重要である。たとえ器楽曲であっても、映像やドラマの雰囲気が池辺さんの曲にはどこか漂っており、そこが大きな魅力ともいえる。 影響を受けた武満徹についてはこう語る。 「武満さんの言ったことで一番好きなのは、『何ほどのこともなく作曲していたい』って言葉なんです。僕もそうやってきたなと思う。他のことをいろいろやる中で一つ、作曲ということもやっているんだという風なアプローチで作曲をしていたい」 作曲だけの専門家ではなく、より総合的な人間の営みの一環としての音楽。とても美しい考え方である。 9月15日には東京オペラシティ コンサートホールで「池辺晋一郎 80歳バースデー・コンサート」がおこなわれる。そこで特に注目されるのは、交響曲第11番「影を深くする忘却」(東京オペラシティ文化財団とオーケストラ・アンサンブル金沢による共同委嘱)の世界初演だろう。 いまの作曲家には、交響曲を創作活動の根幹としている人と、全くこの形式に関心を払わない人がいるが、池辺さんの場合は前者にあたる。 「たとえ委嘱であっても、ほとんどゼロに近い地点から自分で構想を練って書ける場合に書きたいのが交響曲なんですよ。これまでの僕の作品はすべてそういう形ですね。つまり交響曲とは、僕が自由に発想した曲ですよという宣言でもある。ある程度長さがあったとしても、委嘱者から内容について具体的な提示があったりしたときは交響曲とは名付けません。そういう呪縛からすっかり逃れて自分の好きにできるときに、交響曲へと結実する」 第11番のタイトル「影を深くする忘却」は、長田弘取材・文:林田直樹 写真:野口 博の詩『森のなかの出来事』の一節だが、そこにはさまざまな意味が込められている。例えば、震災と原発事故のこともつい思い浮かべてしまう――。 「忘却ということを考えなきゃいけない時期になってきたということですよね。人間は忘れる動物でもあるし、忘れるっていうことはある意味では価値があるし、忘れるからこそ次があるんだけども、何もかも同じ価値でそうやって過ぎ去っていっていいのかどうか。もうちょっとスパンを長くすれば、戦後の話ですよね。戦争が終わったときのあの頃の考え方に関して、もう完全に初心を忘れてしまった」 自筆の総譜(手書きのペンによる明晰な筆跡が読みやすい)を拝見したが、第9番や第10番の交響曲で用いられていた長田弘の言葉「幸福は何だと思うか」に基づくモチーフが、第11番でもトロンボーン、トランペット、そして最後にヴィオラのソロで語られている。それは私たちがいま繰り返し自問しなければならないテーマでもある。 今回のコンサートでは、若い頃の作品にもスポットが当たる。東京藝大学部卒業作品のピアノ協奏曲第1番(1967)のソロを、若手でいま最も注目すべき存在のひとり北村朋幹が弾くが、時代を超えて若い作曲家とピアニストがどう対決することになるのか、という聴き方もできそうだ。 万葉集の恋の歌を題材とした「相聞Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ」(1970/2005)をまとめて、長年にわたって深い信頼関係を築いてきた東京混声合唱団が歌う。11作あるオペラからは第1作《死神》(1971/1978改作)からのアリア、第10作《高野聖》(2011)からのハイライトが古瀬まきを(ソプラノ)、中鉢聡(テノール)らにより演奏される。いずれも池辺の音楽における日本語の言葉との関係性が凝縮された作品である。 作曲家人生の総決算とも言うべきプログラム、ぜひとも足を運びたい。Profile作曲家。日本音楽コンクール、尾高賞などの受賞の他、映画・テレビ等の附帯音楽分野での受賞も多数。2004年紫綬褒章。18年文化功労者。22年旭日中綬章。作品は交響曲No.1〜10、ピアノ協奏曲No.1〜3、オペラ《死神》《鹿鳴館》《高野聖》をはじめ管弦楽曲、室内楽曲、合唱曲など多数。演劇音楽は約500本を担当。現在、東京音楽大学名誉教授、東京オペラシティ文化財団ミュージック・ディレクター、石川県立音楽堂洋楽監督等を務める。1996年から13年間、NHK教育テレビ『N響アワー』の司会を担当した。時代とともに歩んだ80年の軌跡をたどる
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