eぶらあぼ 2023.9月号
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 近年のクラシック界では、青少年活動が重視されている。それは聴衆の高齢化が進み、このままではお客さんがいなくなってしまうからである。若い人々や初心者にクラシック音楽の楽しさを伝え、新しい聴衆を獲得しなければならないというのは、音楽業界で働く人ならば、誰もが考えていることだ。 筆者の住むドイツでも、状況は同じである。聴き手の育成は盛んで、(ベルリン・フィルの教育プログラムに見られるように)かなりのお金が投資されている。しかしその一方で、コンサートホールや劇場への客足は、明らかに鈍くなった。コロナ後にそれがさらに加速した、という話は、当連載でも何度か取り上げている。それを踏まえて筆者が今考えているのは、なぜそうなったか、ということである。 ベルリンのオーケストラ演奏会で疑問に思うのは、やたらと難しい曲を取り上げることである。プログラムの大半が、20世紀以降の作品や上演機会の少ない曲。前半が現代もので後半がブラームスだというのならわかるが、曲目のすべてが「お勉強的な作品」であることが一般化している。かたや、ブラームスの交響曲が演奏されるのは、ひと団体でシーズン中一、二度ほど。それでもコロナ前ならば、付き合っていたお客さんも数多くいただろう。しかし、劇的なインフレで人々の懐が寂しくなった現在、「わざわざお金を払って難しいものを聴きたくない」という雰囲気が生まれている。これまで教養の一環として晦渋な作品に耳を傾けてきた人々が、コンサートから離れていっているのである。 何が言いたいのかというと、今のドイツ音楽界の問題は、若いお客さんがいないことではなく、既存の(平均的な)クラシックの聴衆とその趣向がネグレクトされている、ということである。誤解を避けるために付記するが、現代作品やレアな曲が演奏されることは、たいへん重要で、良いことだ。しかしそれは、スタンダード曲がそれらを駆逐してきたからであって、アンチ・メインストリームだけを取り上げるのであれば、意味合いが違ってくる。ドイツの学芸員は、「ベートーヴェンばかりではつまらない!」と力説するが、実際のところ聴衆は、それほどベートーヴェンを聴く機会を持っていないのである。未知のものを紹介する「正しさ」に固執することで、お客さんが離れてしまうのであれば、本末転倒だろう。 つまりこの国では、初心者でもなく、現代/希少作品マニアでもない普通のクラシック・ファンこそが、置いてきぼりを食らっている。筆者はこれが、チケット収入に依存しない(=莫大な補助金で賄われている)公共音楽団体の「お気楽経営体質」から来ていると考えている。もちろん民間主体の日本のオーケストラ界では、そんな状況ではないが(同様の路線では、そもそも集客できないだろう)、ベルリンでは、お客さん自体が「度を越した教養主義」を拒否し始めているように思う。Profile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。10年間ベルリン・フィルのメディア部門に在籍した後、現在はレコード会社に勤務。119 No.86連載城所孝吉クラシック界で置いてきぼりを食らっているのは、既存の音楽ファン?

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