eぶらあぼ 2023.8月号
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23取材・文:香原斗志 ソニア・ヨンチェヴァを聴く――。それは格別な興奮をもたらす特別な機会である。やわらかく、深く、豊麗な深い声は磨き抜かれ、端々までコントロールされて、すこぶる高い水準で音楽的に充足しながら、複雑な人間感情そのものになって心に届く。昨年のコンサートを聴いた方は、それを実感したに違いない。今年はローマ歌劇場日本公演の《トスカ》で、いよいよ日本でのオペラデビューを果たす。 トスカ役はヨンチェヴァの十八番で、現在、この役を彼女以上に魅力的に歌うソプラノの名は思い浮かばない。それが音楽監督ミケーレ・マリオッティの指揮、今年生誕100年を迎えたフランコ・ゼッフィレッリの演出という、これ以上は望めない舞台で披露されるのだから、興奮するなといわれても無理な話である。 また、その後に行われる特別コンサートでは、ベルカント、ヴェリズモ、フランス・オペラから昨年以上に多彩な曲が並べられ、全盛期を迎えている彼女の魅力のすべてが披露される。 待ちきれない来日を前に、いま頂点に立つヨンチェヴァを少しでも深く理解しておくために、インタビューを試みた。まずはトスカ役をどう解釈するかだが、きわめて興味深い回答が返ってきた。 「トスカはいちばんのお気に入りの役のひとつで、パワフルですが同時にもろい女性だと感じます。じつは、彼女はとても若い。そして恋愛においても、芸術家としても、若さゆえに予測不能で、ある意味、素直なのだと思います。彼女の言動には裏表がなく、嫉妬しているときでも相手を欺こうという意識はありません。だからこそ、私はトスカの若さを強調しようと努めていて、その意識を舞台上の演技にも声にも反映させます。その点に私のトスカと、過去をふくめほかのソプラノが演じるトスカとの違いがあると思います」 ヨンチェヴァの声は近年、熟成を増しつつも、若々しさは失われていない。みずみずしさを維持したまま表現を深める秘訣は、どこにあるのか。 「声の健康法は人それぞれですが、私は声という楽器のしなやかさの維持に注力しています。それには異なるタイプのレパートリーを同時に歌うことが大事。レパートリーが多様でこそ、声のしなやかさと健全な歌唱をたもてます。私はこうした観点から、コンサートで歌う曲もふくめて役柄を選んでいて、たとえば、ジョルダーノの《フェドーラ》を歌ったすぐあとに、コンサートでヘンデルを取り上げたりします。こうすることで声を健康的に使う感覚を取り戻せるのです」 しかも、私たちは彼女のしなやかな声を、同歌劇場が15年ぶりに披露する巨匠ゼッフィレッリの、その芸術の到達点ともいうべき舞台で浴びることができる。 「この舞台は楽しみです! ゼッフィレッリの演出は本当に重要で壮観ですから。彼は途轍もない芸術家で、常にスコアと台本に真実を探し求め、オペラを模範的に表現する唯一絶対の方法をもっていた。だから、彼の舞台はいまなお傑作なのだと思います。このプロダクションが日本公演のために選ばれたのがうれしくて、そこで歌えるのは光栄です」 加えて指揮はマリオッティ、カヴァラドッシ役はヴィットリオ・グリゴーロと役者はそろっている。 「2人とはこれまで何度も共演していますが、イタリア的で正統な音楽表現がすばらしく、おまけに若さゆえに火花が散って、すごい舞台になると思います」 最高の《トスカ》に続き、コンサートでこのディーヴァを味わい尽くす幸福が待つ。あたらしいCD『The Courtesan』も出色の出来映えで、そのぶん期待も増す。 「コンサートもオペラのレパートリーに焦点を当て、フルオーケストラで歌うので、オペラの舞台と別物ではありません。すばらしい曲の数々を情熱的で色彩豊かに歌うことで、お客さまとの距離がより近く親密な場に感じられるコンサートが私は大好きです。昨年、《ノルマ》の〈清らかな女神〉を歌って大成功したので、今度は同じベッリーニの《海賊》から狂乱の場を歌うのが楽しみです」 この超難曲を歌うのが「楽しみ」だという返答からも、ヨンチェヴァの偉大さが窺える。Profile生地のブルガリアのプロヴディフでピアノと声楽を学び、ジュネーヴ音楽院で声楽の修士号を取得。2010年にプラシド・ドミンゴ主宰の「オペラリア」で第一位と文化賞を受賞したのをはじめ、数々の著名な国際コンクールで優勝を果たす。独特の美しい声とドラマティックな表現力、華のある舞台姿でメトロポリタン・オペラ、英国ロイヤル・オペラ、ミラノ・スカラ座、バイエルン国立歌劇場、ウィーン国立歌劇場、パリ・オペラ座など、世界の主要な歌劇場に欠かせない存在となっている。22年7月のリサイタルは待望の初来日実現となった。全盛期を迎えたディーヴァが「いちばんのお気に入り」でオペラ日本デビュー

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