eぶらあぼ 2023.8月号
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111 先日スペインのバレンシアで休暇を取ったのだが、そこでシェフとして活躍する甲斐俊也さんに知り合う機会を得た。彼は、地元の星付きレストランで修行した後、自分のお店「Toshi」を開店。バレンシアにはあまりないというカウンター席で食事しながら、面白い話を聞くことができた。 「Toshi」は、いわゆる日本食ではなく、地中海料理のレストランである。メニューに載っているのは、鮨やてんぷらではなく、地元の素材を生かした南欧料理。しかし背景を聞き、実際に食べてみると、日本人としての感性や技が盛り込まれていることがわかった。例えば、鰻のグリル。鰻は、バレンシアで養殖がさかんな魚だが、通常は煮込んで出されるという。それに対し甲斐さんは、グリル(=串焼き)という日本的なアレンジで提示している。 あるいはイカ墨のパスタ。バレンシアでは一般的なイカ墨料理は、魚介のブロードに墨を加えるものが大勢だという。しかし甲斐さんは、内臓を墨に和え込むことで、イカの旨味をさらに引き出している。これは、日本の料理人がよく使うテクニックだが、それを地中海料理に援用しているわけだ。その際お客さんは、彼の料理を特に日本的と意識することはなく、ヨーロッパ料理として食べている。 なぜこんな話をするのかというと、甲斐さんのアプローチが、日本人クラシック演奏家のそれと、似通っているように感じられるからだ。 我々は、ドイツ人やフランス人のように、クラシック音楽の「血」を持っていない。伝統の外からそれを学ぶが、国際的に活躍するためには、(スタイルや解釈で)本場の演奏家と同じレベルに達していなければならない。しかし一方で、自分のオリジンを抹消することはできないだろう。演奏家であれば、「日本人としての自分とどう向き合うか」という問いは、誰もが突き当たるものである。その際優れたアーティストは、自己のルーツを否定しないと同時に、その良さを媚びることなく自然に演奏に織り込んでいるように感じられる。 筆者の頭にすぐに思い浮かぶのは、鈴木雅明とバッハ・コレギウム・ジャパンである。彼らの演奏は、トップレベルのバッハ解釈として世界的に認められている。そこで特色となっているのは、玉のように磨かれた美しさ、丁寧で折り目正しい仕上がり、細部に宿るこだわりと緻密さだろう。欧米人にとっては、それは普遍的な美しさであり、美質である。しかし日本人である我々は、以上の特徴が日本的なクラフトマンシップや勤勉さ、忍耐強さと繋がっていることを知っている。このことは、甲斐さんの料理が、地元民も納得する地中海料理でありながら、日本的な美点も併せ持っていることと共通しているのだ。 誤解を避けるために言うが、これは「日本人は日本人らしさを演奏に取り込めばいい」といった短絡的な話ではない。クラシック音楽は、日本文化とは本質的に異質である。我々が、それをドイツ人やフランス人のように演奏するためには、他者の文化を学びつくし、自分の血肉にする必要がある。しかし突き詰めて考えると、我々がプラスアルファの美質として示し得るのは、潜在的に備えている日本人としての美質なのかもしれない。Profile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。10年間ベルリン・フィルのメディア部門に在籍した後、現在はレコード会社に勤務。 No.85連載城所孝吉料理と音楽に共通する「日本人の美質」を考える

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