eぶらあぼ 2022年5月号
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取材協力:Radioeat(パリ Radio France内)♪自分自身をより現いま在に近い場所に置くジャン・ロンドーブランディーヌ・ヴェルレのもとで10年以上にわたってチェンバロを学ぶ。パリ国立高等音楽院を優等で卒業し、ソルボンヌ(パリ大学)で音楽学の学位を取得。2012年、21歳の若さでブルージュ国際古楽コンクール チェンバロ部門で優勝。バロック、クラシック、ジャズへの情熱と好奇心にあふれたロンドーは、哲学、心理学、教授法の要素を少しずつ織り交ぜ、多様な文化や芸術形態、専門分野の間にある音楽的な関係性を常に追求している。https://www.jean-rondeau.com古楽とその先と Vol.5全文はこちらから!→35脳のアンテナを張っていなければいけません。もっと具体的に言うと、アタックとリリースのあいだの時間も常に音を聴き続けることが重要なのです。 例えば、私たちが話をする時には、子音、母音、音節などのアーティキュレーションだけを気をつけるわけではありませんよね。言葉と言葉のあいだの沈黙、符号(!,?)や抑揚さえも、とても重要です。チェンバロでいうところのアタックとリリースの間にあるものは、もっと複雑です。そこへの意識・集中力が欠けてはいけないと思います。言葉のあいだにある沈黙には、言葉と同じぐらいの質量が存在しているのです。JJ ダイナミクスの話は至ってシンプルです。就寝中の夜の沈黙があるからこそ、翌朝、音はより強く感じられます。ナイトクラブに行けば、その逆です。音と音のあいだの静寂をどう処理するかが、ダイナミクスを生み出すのです。静寂の処理というのはとっても繊細なものであることを、我々チェンバロ奏者は受け入れなければなりません。沈黙に耳を傾けるのです。フルートのように音のシェイプをコントロールできないなら、それぞれの音をどこに置くかを考えなければいけません。これは発音の科学的問題だけでなく、音を出した後の「響き」の問題なのです。TT なるほど。2つの音の間(ま)を演奏する、というのはあまり考えたことがありませんでした。我々は、音を出したらそこからどうシェイプし、音楽的な線をつくるかに集中している気がします。ある意味、鳴った音を分析しながら演奏しているわけですが。受け身にならず、常に“現在(いま)”を演奏するというのは、やはり訓練がいるのでしょうか?JJ 私にとって、聴くということは終わりのない作業です。チェンバロでは音のシェイプがつくれないからこそ、別のアプローチで音楽を表現することができるのです。その実現のために、より一層、聴くことに没頭しなければならないのです。 たとえば、バッハの3声のフーガを取り上げるとします。まず何も考えずに一回弾く。今度は同じように弾くのですが、真ん中の声部を200%注意深く聴きながら演奏すると、それがどういうわけか目立って聞こえるのです。ある声部を聴けば聴くほど、聴衆にはその声部が聞こえてくる。 マスタークラスで教える時、生徒は響きを聴いていないことが多いです。鍵盤を押すたびに、次の鍵盤を押すことを考えている。私にとっては、それは単なる細かいことに過ぎません。音と音の間にもっとエネルギーを使いましょう。自分自身をより現在(いま)に近い場所に置くのです。もちろん、ほんの少し将来のことを予期し、それに対処することは必要かもしれませんが、“現在(いま)”を弾くべきなのです。 そして、それを受け身ではなくアクティヴに、能動的に聴くのです。チェンバロで表現するための訓練の原点を理解するために、どこに耳を傾け、どこにエネルギーを注ぎ、どう現在(いま)に対峙するかということです。

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